【第6回】伝統芸能を支え続けて133年-藤浪小道具(株)社長 田中 勇氏(東京)

~技術伝承を支えてきた人間尊重の経営~

藤浪小道具(株) 社長
田中 勇氏(東京)

日本の演劇を支え続けて133年

 大勢の参拝客で賑わう東京浅草「浅草寺」。その北側に江戸時代末期の芝居町「猿若町」(現浅草六丁目)があります。世にいう猿若三座とは「中村座」「市村座」「河原崎座」のこと。その中に1872年(明治5年)の創業から133年、伝統芸能を守り、新しい時代への挑戦を理念に、日本の古典演劇の歌舞伎と明治以降の近代演劇にとってなくてはならない役割を果たしてきた藤浪小道具(株)(田中勇社長、東京同友会会員)があります。

 市村座に職を得た初代が、莨入(たばこ)・煙管・刀等を座に提供したことに始まります。猿若三座時代の「中村座」とゆかりのある「18代目中村勘三郎さんも襲名公演のあいさつにわざわざご自身で来社いただきました」と田中さん。

 初代は、歌舞伎の貴重な持道具や多量の小道具を保存するために、1879年(明治28年)に極めて堅牢な「土蔵」を建設しました。その土蔵は、1923年(大正12年)の関東大震災や東京大空襲の中で、三代目が見事に守り抜きびくともしなかったそうです。本社及び埼玉県越谷の倉庫には、何十万点もの小道具が収納されています。(写真右は小道具の刀類)

技術の伝承と人間尊重の経営

 同社の技術伝承を支えたものに人間尊重の経営づくりがあります。時代を先取りし、いち早く60歳定年を導入。現在は、本人が健康であり、意欲があれば69歳まで延長しています。技術を伝承し後継者を育成するには、古手の存在が欠かせないこと。また、「ぜひ、だれそれに来て欲しい」と、ひいきにする俳優さんの指名も多いことが理由で「終身雇用に近い」と田中さん。

 社員には舞台の知識、歌舞伎の演目、役柄はもちろん役者の個性を生かした小道具の選択、芝居の歴史や時代考証の能力も求められ、一人前になるまでには5年から10年かかります。これまで「時代考証」や「デッサン」をテーマに研修などを行ってきました。

 また、同社では1948年に労働組合が結成されました。現在、組合とは月1回の「経営協議会」(通算380回)を通し、話し合いを基本に、伝統文化を守りながら、新しい業務への挑戦を話し合っています。人事査定や評価はありません。その理念の根底には、同友会の「労使見解」の実践を通した労使の信頼関係づくりがあります。また、経営指針の遂行についても、係長以上が参加する月1回の「役職者会議」でチェックするなど全員参加の企業づくりが特徴です。

伝統技術と新しい技法への挑戦

 同友会には、前社長の白沢さんが1960年に入会。同友会のなかでは、経営指針や労使関係のあり方などを積極的に学び自社の企業づくりに生かしました。田中さんは前社長が築いた理念を受け継ぎ発展させています。

 半面、課題も山積です。「芝居で使うわらじ等を作れる人がいなくて困ります。旧き良き物がなくなる時代。技術の伝承が大変難しい」と田中さんは言います。同社の中にある「歌舞伎小道具製作技術保存会」は、1996年に文部省より文化財保護法保存団体に認定されました。昨年は、同社の74歳になる木工技術者が黄綬褒章を授与され、本人は元より会社従業員共に大変励みになりました。

 激動の時代を生き抜いてきた藤浪小道具。時代の変化や新たな課題を抱えながらも、伝統の技術と新しい技法素材を駆使、融合させながら今後も日本演劇を支えていく熱意に燃えています。

会社概要

 設立:1872年(明治5年)
 社員数:125人(うちアルバイト10人)
 資本金:1120万円
 年商:12億円
 事業:舞台小道具製作・賃貸
 所在地:東京都台東区浅草6-2-6
 TEL:03-3874-5171