【第24回】会社はだれのもの? (有)豊田車輌 取締役会長 豊田政常氏・代表取締役 内野忠夫氏(山口)

社長と会長

(有)豊田車輌 取締役会長 豊田政常氏・代表取締役 内野忠夫氏(山口)

事業承継で理解した「地域とともにある企業」

社内の様子

 山口県宇部市に、建設作業車や高所作業車などの特種車輌の整備工場を営む(有)豊田車輌(豊田政常会長・内野忠夫社長、山口同友会会員)はあります。建設作業車や高所作業車などの車輌の整備には、一般車両と違った特別な技術が必要です。それらを手掛ける整備士についても専門の技術が求められるため、同社のような特種車両専門の会社があります。長引く不況で逆風が吹いている車業界と建設業界を相手にしていますが、創業以来一度も赤字を出したことはありません。

 「昨年、ようやく内野社長に事業承継できた。目下の悩みは、新規採用。仕事はいくらでもあるのに来てもらえない。ただでさえ『3K』と呼ばれる業界だということに加えて、特種車両整備という技術の必要な職業が、特に若い方になかなか理解されずに敬遠されている」と、豊田氏は現状を語ります。

 2011年に、会社を引き継いだ内野氏は、「豊田会長から会社を引き継いで、丸一年。新規採用できないのはまだまだ会社に魅力を感じてもらえないから。必要とされるサービスを継続して提供し、少なくても雇用を支え、地域の中での信頼を得る、良い会社になっていきたい」と、夢を語ります。 

創業期

 島根県で生まれ育ち、中学校を卒業し、山口県宇部市の会社に住み込みという条件付きで就職した豊田氏。「家が貧乏だったため、高校に進学することができなかった」とのことですが、働きながら夜学に通い、4年間かけて高校を卒業しました。1980年に、自分の技術を生かしたいとの思いから、12年間働いた会社を飛び出して、一人の社員と共に独立しました。2年後、社員が3人となったところで、福利厚生の充実を目的に、有限会社として法人化しました。

 当時は、自社も周りも、全て親方と弟子のような会社でした。このような会社は、常に親方の言うことがすべてです。「良いことも悪いことも親方次第。これが普通だったので、自分もそういった会社づくりをしていた。会社の理念、そして方針・計画なんていっさい無かった。時代は、戦後からの高度経済成長時代へと向かう雰囲気だったが、とにかく『働け、働け』だった」と豊田氏は言います。朝8時から夜12時までが会社の定時。社員も黙ってついてきてくれていましたが、周りの会社から「夜に宇部で働いているのは、泥棒と豊田車輌だけだ」と悪口を言われたこともありました。当時はいくらでも仕事があったので、やればやるほど次から次へと仕事がきました。社員にもかなりの無理を言って働いてもらいましたが、人材不足は深刻でした。

 そのころは大手企業では学生を青田買いし、まったく中小企業に人が来ない時代。学生を囲い込むために、大手企業側は海外旅行に連れて行くということをしていましたが、同社でも入社の特典を設けるなど同じようなことをしていました。豊田氏は、「今なら分かるが、自社には心身ともに安心して働ける環境がまったくなかったことに気づかないまま、「仕事があるのに社員がこない」「仕事がはけない」「だれかいないか」と不満ばかり。自分が良い会社をつくろうとしていないことがなによりの欠点だったのに、人がこないことを嘆いていた。あのころに理念・方針などしっかりしたものが会社にあれば、『小さくても頑張っている会社があるじゃないか』ということできてくれたかもしれないのに」と語ります。

事業承継で気づいた「だれのための会社?」

社員さんと

 バブル崩壊により、近所でも破綻する会社がでてきました。このときをきっかけに、「どんなことがあってもつぶれない会社経営」に目が向きました。また、取引先の社長が脳卒中で倒れ、事業を続けられなくなったのを目のあたりにし、自社に後継者がいないことにはじめて気づきました。しかし、心の中では、「三人の娘たちか、娘婿のだれかがやってくれるだろう」と甘い期待をかけていました。自分が築いたものだから子供に渡したい、というのが本音でしたが、あるとき娘全員から、「私たちは関係ない」と言われ、がく然としました。そのときから、「会社とはだれのものなのか?」ということを自問自答し始めました。

 当時の社員の中から、トップダウンで「おまえやってみろ」と指名しましたが、ことごとく挫折。問い詰めても「もう勘弁してほしい」と言われ、どうしていいか分からなくなりました。「豊田車輌は、今後なくてもよい会社なのか?この会社は、だれのために存在しているのか?」と悩みます。

 自社の存在意義が分からなくなっていたころに、山口同友会に入会しました。勉強するうちに、会社に対する自分の意識が変わっていきました。「自分の会社」から、「社員全員とつくっていく会社」へ。社員の家族、お客様、会社に関わるすべての豊田車輌であるべき、という結論に達していきます。

 思い立ったらすぐ行動。今まで呼び捨てにしてきた社員を、「さん」づけで呼ぶように改めました。仕事も極力社員自らが考えて行動するように、指示を減らしていきました。経営指針成文化にも取り組み、何か問題が起きたら社員全員で話し合うようにしました。急激すぎる社長の方針転換に戸惑う人も出ましたが、今後の会社のために、社員のためにやるんだということを伝えていくことで、納得してもらいました。

 あいかわらず後継者が見つからないままでしたが、きっかけは突然やってきました。社内で一番若い社員(後の内野社長)の結婚式に出席したときのスピーチで、「ビッグになりたい」という言葉を聞き、「このやる気があれば会社経営に向かっていけるのでは」と考え、半ば無理矢理同友会に入会させました。豊田氏からすれば「理解して欲しい」の一心だったのですが、内野氏本人は嫌々で、周りには「自分にはできない。社長に無理矢理勉強させられている」と言っていました。「当時は会社で一番若いという立場と、周りへの遠慮というのもあったし、失敗した先輩も見ていたので、本当に嫌でした」と笑って当時を振り返る内野氏。しかし、期待を受け止め、同友会でできた仲間ともうち解けるうちに、経営に対する面白みを感じ始めて、真剣に取り組むようになっていきました。

 昨年、社長職を現在の内野氏にバトンタッチして、会長に就任しました。現在は内野氏が会社をすべて取り仕切っています。ある日、豊田氏に「後継者もできて順風満帆ですね」とたずねると、「会長になってからの方が忙しいんだよ。社長のバックアップを本人に気づかれずにやるのは難しいね。あいかわらず、なかなか新入社員がきてもらえないが、こんな小さな会社でも、良い会社をめざして皆で力を合わせていけば何も怖くはない」と豊田氏は語ります。

会社概要

設 立:1980年
資本金:1,000万円
年 商:1億2,000万円
業務内容:特種自動車修理販売・各種自動車車検、修理販売
社員数:9名(役員含む)
TEL:0836-67-1300