【第8回】未来へとつなげたい 大津発條(株) 代表取締役社長 坪田 明氏(滋賀)

坪田社長

大津発條(株) 代表取締役社長 坪田 明(滋賀)

社屋

 高台から琵琶湖が望める旧東海道瀬田にある大津発條(株)は、精密スプリングの中でも線ばねの加工を強みとする製造業。家庭用家電や産業用機械のばねを、素材仕入れ、加工、焼き入れと一貫して行うメーカーです。

 戦中、父である創業者が呉服屋の番頭から大津にあったばね製造軍需工場に就職し、戦後工場の解体を機に同僚とともにばね製造会社の設立に加わりました。そして55歳のときに、その会社から独立する形で知人と2人で個人事業を始めるつもりが、他の社員からも一緒に会社を立ち上げたいと、更に6名が協力して大津発條(株)が誕生しました。「この会社は先輩社員が創った会社」と坪田氏は語ります。

 大津の社員の自宅の一部を間借りしてばねの製造を開始。とにかく仕事を確保するため、他社が嫌がる仕事も積極的に引き受け、高度経済成長の需要もあって順調に成長しました。

NOと言わない企業へ

機械

 技術職であった創業社長は、当時依頼された仕事に関してはNOといわず、線ばねを中心とした加工を手掛けました。その間、大手メーカーからの依頼でほぼ同じ工程でできる空芯コイルの製造なども手掛け、業績を伸ばしていきました。加工技術を向上させ、素材の研究を進めた結果、競合他社にはできないばね製造が可能となりました。また、早い段階で海外製造の支援を行うなど、取引先からの信頼を高めていきました。

 しかし、バブル崩壊後は大手メーカーからの仕事は減少し、さらには海外生産に切り替わるなど経営は悪化しました。兄が中心となった経営に移行する中、本業以外の製造に乗り出し、海外に工場を新設するなど拡大路線をとりました。何の相談もないトップダウン。取締役会とは名ばかりで当時常務取締役であった坪田氏にも今後の計画なども説明がなく、進む拡大路線に対して人材確保は難航し、社員から経営に対する不信が募っていきました。

 坪田氏は、その調整役に入りますが収まりません。やむなく家族で会議を行い、坪田氏が社長に就任することで決着がつきました。

「理念をつくりたい」。同友会へ入会

 経営指針の無い経営を目の当たりにしてきた坪田氏は、滋賀県が主催する製造サークルで同友会会員から「社長になるなら理念がないと」と、滋賀同友会に誘われてすぐに入会しました。「経営指針を創る会」に申し込みますが、そのとき社長就任からの過労で全治6カ月の自動車事故にあい、入院生活が始まりました。「約半年間会社を開けてしまい逆に社員の自立につながったのでは。私は改めて理念に対する思いを考える時間を得た」と坪田氏は振り返ります。

 「経営指針を創る会」で「何のために」を問い続け、掲げた経営理念は、「私たちは、人々の幸福をより良い未来へとつなぐために、人間の智恵と物質の持つ力を活かす「ものづくり」を通じて社会に貢献します」でした。

 創業者ではない3代目として、夢ややりたいことでなく、「わが社は何のために存在すべきなのか」を明確化しました。「商品を納めるお客様の先にある社会に対して『人々の幸福を未来につなぐために知恵を生かす』こと。これは社員一人ひとりが業務のためでなく、社会で生きるためにわが社があるという思いを表現しました」と坪田氏は言います。

どんなに厳しくても解雇はしない

機械2

 経営指針を発表するも、先輩諸氏から聞いていた通りにはうまくいかず、経営に対する不信は続きました。その間、個別面談や全社会議などで理念や今後の方針を語り続けました。転機になったのは2008年リーマンショックです。社員に不安が広がり、2009年の年頭にこの「景気は一時的なもの」と不安を払しょくさせようとした途端、社員からは「悠長なことを言っていられないのでは?」と指摘をされるなど、今までとは逆に、社員の会社に対する「私たちの会社」という意識が高まっていました。「ちょうどそのとき、同友会の紹介で新聞社から取材を受け、『どんなに厳しくても解雇はしない』と新聞に掲載されて、社内外で会社に対する安心感が広がった。経営理念を掲げ、唱和をしただけでは社員には伝わらない。経営者の言動、小さな実行が信頼関係を強くし、理念が共有されると確信しました」と坪田氏。2009年には、厳しい環境の中、中期計画の中で新卒を含む4名を採用し、平均年齢が50代に達していた企業体質の若がえりを図りました。そして同友会で学んでいた採用と共育の実践として、坪田氏は10日もの間、理念とモノづくりやばねにかける思いを直接語るなど、「わが社の未来をともにしたい」と新入社員に訴えました。

社員の成長なくして未来はない

 「社長の能力は限られています。私には社員という19名もの仲間がおり、それぞれが学び、能力を高め、発揮できればどんな問題も解決するはず」と坪田氏は語ります。

 リーマンショック後も赤字になることなく業績を伸ばし、東日本大震災の需要の落ち込み時は製造部門を統合し、各部門に権限を委譲、合理化を進めてきました。それまでは、社長決裁がほとんどでしたが、部署内での合意形成、改善や協力体制の模索など風通しがよくなっています。「幹部は全体を見ながら技術を伝え、権限とともにそのリーダーシップを発揮してくれている」と坪田氏は言います。その年には、同友会の支部長就任の要請があり、社員からは支部長の責を果たしてくださいと進言されました。

 現在は、団塊世代の定年による技術の海外流出が進み、外国メーカーとの熾烈な価格競争が進んでいます。しかし、Q,C,Dによる利点や素材に明るい技術者の強みを生かし、素材メーカーとの共同開発などに取り組み、差別化を図っています。

 「仕事はもちろん、家庭や地域のさまざまな役割や問題にチャレンジできる人をめざしたい。会社の役割は理念にある通り『未来につなげる』ための器です」と坪田氏の未来像は壮大です。

会社概要

創 業:1970年
設 立:1984年
資本金:1,000万円
事業内容:精密スプリング製造及びフォーミング製品の設計・製作
従業員数:19名
所在地:滋賀県大津市月輪一丁目11-3
TEL:077-545-8562
URL:http://bane.setacai.com/