シリーズインデックス:わが社の事業承継

【第25回】家業から企業、仕事を志事にするために (株)Y.Kカンパニー 代表取締役 本田 和也氏(佐賀)(2016.10.19)

本田和也社長 (株)Y.Kカンパニー 代表取締役 本田 和也氏(佐賀)

神童から総長へ

 佐賀県北部浜玉町(合併後、唐津市)にて1982年に本田和也氏((株)Y.Kカンパニー社長、佐賀同友会会員)は誕生しました。町内でも素直でコツコツやる成績優秀の良い子と評判の本田家の長男でした。中学を終えるころから、やんちゃな少年の度を越え始め、夜な夜な静かな町に爆音を轟かせる少年へとなってしまいました。警察のお世話になり、父親が道路に仁王立ちの命がけで止めた逸話もあります。好き勝手過ごし、卒業を控えた高校3年生3学期についに退学となりました。町で評判の良い子と言われた少年のころの本田氏は、ついに「一家でこの地から出ていけ!」と地域の住民に言われることもありました。

唐津の風景  その後家を飛び出し、東京で過ごしていましたが、うまくいかない日々、華やかなだけの世界、社会に対する抵抗や自分の夢に負けてしまった気持ちを抱え3年後に故郷へと戻りました。そして実家に入り就農することになりました。

父の大怪我で得たもの

 21歳で全国一位のハウスミカンの産地・佐賀の唐津に戻ると、家業である果樹農園に就農して生産作業を覚えることから始めました。そんななか、父が作業中に機械に巻き込まれ大怪我を負ってしまいます。利き手を失いかけるほどの大きな怪我でした。父の長期入院で、会社と家族を支える者としての責任に悩み作業を続けるなか、父宛ての複数枚の手紙が届いているのを目にします。

 それはお見舞い状ではなく督促状でした。栽培・生産方法に革新的だった父が、現状と将来性を見据えて行った設備投資の督促状でした。社員や家族を守るために、父は人知れず借金を背負っていたのです。父は家族にも知られることなく返済をしていたのですが、入院により返済が滞り本田氏が目にする機会となったのです。ショックを受けたのは、父の借金の額ではありませんでした。現実から逃げて過ごしているなか、父は人知れず仕事と家族を守るために骨身を削り、家業にかかわる人を守っていたことに大きなショックを受けたのです。涙があふれ出て、会社を守る覚悟、父の借金を全て返済する決意を固めました。そこから、本田氏の経営者になる取り組みが始まりました。

改革、業務転換はしたけれども

佐賀県特別栽培の認証取得  これからの農場経営にあたり通年出荷、価格決定権のない品種、かつ現在の栽培規模と生産性のみを注視した栽培では経営状態が悪化することを思い悩んでいました。その中で通年出荷、価格決定権のある野菜に栽培を転換する決意をしました。大規模な面積のハウス果樹栽培から、独自ルートと商品の品質で販売を行う野菜に転換するには、ばく大な手間と設備投資がかかります。もちろん知識も技術もゼロからのスタートで、すぐに出荷はできません。

 さらに地元の果樹生産仲間も良い顔をするわけもなく、地域との関係も難しくなってきました。当時25歳の本田氏は自分の人生と自分にかかわる全ての人のために、さまざまな人や産地を巡り栽培方法を学びました。そして2年後の2008年についに水菜の生産が始まりました。

 2011年に本田氏は(株)Y.Kカンパニー(Y=野菜を食べて K=健康になろう!)の農業生産法人を設立、また水菜栽培での佐賀県特別栽培の認証取得を行い、ついに本格的な生産がスタートをしました。

 株式会社を設立し、野菜の生産ができれば全てうまくいくと思っていました。現実は法人化したものの、ただ家業の延長でしかないため、売上と利益のみしか考えることができませんでした。気持ちも資金も余裕のない日々を過ごし、従業員は生産性を上げるだけの役割、自社の利益優先の取引業者との関わりであったため人が離れ、生産・出荷量は上がるものの、営業利益ベースが毎年平均でマイナス50%となっていました。人も続かず、利益も下がり。「経営って何?」「良い物をつくれば売れるんじゃないの?」悩み中、若手の農業経営者も多く在籍する佐賀同友会に出合い、藁をも掴む思いで入会しました。

経営者としての苦しみの中…同友会との出合い 経営指針作成

 当時は、人付き合いも苦手、とっつきにくい人、例会にただ参加して帰る…それが本田氏のイメージでした。同じ農業でもある平田花園の平田・西支部長の強い説得で「佐賀同友会 経営指針成文化塾」を受講することになります。29期受講生で中でも周りや先輩に心配や厳しい指摘を受けながら、指針づくりに取り組みました。社内ディスカッションで現状把握とビジョンづくり、経営理念、経営方針、経営計画と悩みに悩んでつくりました。最終講が近づくにつれ、一目置かれる存在となっていきます。コツコツ、思いやりのある子どものころの本来の性格で、明るく、笑顔が似合う本田氏へと変わっていきました。作成後に幹部と正社員にいち早く発表するなど、学びの吸収力と実行力も高く、例会などの学びを素直に自社の経営へとスピーディーに取り入れる習慣もつきました。

 (株)Y.Kカンパニーは創業後5年間で売上150%、経常利益率約10%、社員数倍増、取引先数4倍となる企業となりました。成長の元になったのは本田氏の経営姿勢です。

(1)社員の収入・将来性・安全な日常を保障
(2)共存共栄、それぞれの思いやりと三方良し
(3)責任や義務、役割分担の明確化、組織としての自覚
(4)経営者が会社全体をいつも冷静に、理念方針に基づいた経営計画を綿密に運用
(5)笑顔があふれる理念、理念に基づいての夢の共有

 これら五つを学び念頭に置いて企業活動を行ったために、「結果として通信簿のように利益が残った」と本田氏は言います。

 そして今後の課題として、下記4点の取り組みを始めました。
(1)食の安全の高度化
(2)災害への備え
(3)世界市場にも対応できる高付加価値な生産、販売組織づくり
(4)地域のために農業就業者の育成、耕筰農地の効率化、高度輸送技術の開発

豪雪の日の奇跡

 2016年1月22日に全社、取引先、同友会の仲間を集めての経営指針発表会を行いました。本当に魂のこもった本人も、参加した皆さんも号泣の指針発表でした。その姿から取引量、取引先が即日増加することとなりました。

 そんな折、2日後24日からの九州豪雪は記録的なものとなります。九州各地で流通やインフラの多大な被害を受け、野菜の価格は高騰しましたが、同社は出荷量、時間、出荷金額が変わることなく正確な業務を行っています。これは佐賀同友会「豪雪の日の3つの奇跡」の一つとして語られています。社員の「この天候状態であったら、食べてくれる家庭に届かない恐れがある!」、パートさんの「待ってくれている家庭に届くようにするのがY.Kカンパニーの使命だよ!」この一言が全社に奇跡を呼びました。このことからさらに信用が増し、取引量、取引先が増える結果となり、経営指針をもとにした全社一丸での成果が実った瞬間でもありました。

笑顔を耕す企業に!

 専務である本田氏の父は「細かな指図や指示はしなかったが、普段の家庭や仕事の会話の中で父親が思い描いていた以上の企業づくりと、志を持って経営に向きあう『志事』を行っている。地域からも『農業家』でなく『企業家』になったとの声も聞かれる」と誇らしげに語ります。母も「督促状を見た瞬間から何かが変わり、子どものころの良い性格が帰ってきた」と言います。

 同社では、壁一面にシステム化された年間実行計画・栽培計画が貼られ、パートの方でも一目でやるべきことが理解できます。また、社員さんがいつも優しく「こんにちは!」と迎え「お疲れさま!」と帰社しています。
九州内の各スーパーにも安全で独自製法での品持ちの良さ、野菜嫌いな子どもでも好む水菜、小松菜が並んでいます。生産者や社員さんの思い、家族の思いは、その品質と味が語っています。
社員の皆さんとともに

経営理念

笑顔を耕す

会社概要

設 立:2011年
資本金:200万円
事業内容:農業。主に水菜・小松菜・ちんげん菜・ほうれん草の栽培
従業員数:20名
所在地:佐賀県唐津市浜玉町南山318
TEL:0955-56-6966
URL:http://ykcompany.co.jp/

このページの先頭にもどる

携帯用QRコード
携帯対応について

更新情報RSS