シリーズインデックス:わが社の事業承継

【特別版】同友会で学んで実践、理念を繋いだ事業継承 京都エレベータ(株) 取締役相談役 岩島 伸二氏(京都)(2016.12.07)

岩島伸二取締役相談役 京都エレベータ(株) 取締役相談役 岩島 伸二氏(京都)

会社は公器、経営者自身が変わり、思いを次の世代につなぐ

第46回中小企業問題全国研究集会(香川)第11分科会報告から

 京都エレベータ(株)は、主にエレベータ・エスカレータ・立体駐車装置などの定期点検・修理・法定検査・改修工事などを行っています。ここ10年くらいは、京都エレベータというブランドとして大型の荷物用エレベータの販売・設計・製造・据付もしています。

 エレベータの保守業界は、だいたい大手メーカー5社が独占しています。なぜ、そんなことが可能かというと、メーカーが一切部品を販売しないからです。部品がなければその会社以外ではメンテナンスできず、部品だけでなく技術資料や電気図面も何もかも出ていないというのがこの業界でした。われわれ独立系保守業者たちも協力し合い、メンテナンスに必要な部品を売ってもらうため、大手メーカー1社を相手に約10年を掛けて裁判で闘ってきました。このように、閉鎖的な業界だということを認識しておいてください。

起業の経緯

 私は大阪の工業高校を出て大手メーカーに就職し、当時労働争議が激しく行われていた神戸で組合にも所属しました。3年が経ったころに京都への配置転換を命じられ、組合運動をしながら3年ほど我慢しましたが24~25歳のころに退社しました。辞めたその日に偶然組合の先輩に会い、「うちに来るか」と誘われたのがエレベータの工事会社です。

 しかし、売上に波がある工事会社だったため、入って1年ほどで空中分解します。その会社が何軒かエレベータ保守の仕事を持っていたので、それを引き継ぐ形で会社を立ち上げました。少ない台数を創業メンバーである3人で面倒を見ていましたが、10年経って経営方針が合わずに分離独立をしました。実質7名ほどの同じ方針を持った仲間たちとスタートしたのが京都エレベータの設立、そして起業の経緯です。

同友会入会と会社づくり

 私の同友会歴は、1992年1月27日の入会から24年になります。前半10年は同友会に入っても、良い話を聞いたなと思って帰るだけでしたが、社員共育委員会に所属したことをきっかけに、意識して同友会に参加するようになりました。

 初めは社員教育のノウハウを教えてもらえるものだと思って入ったのですが、そこでは経営者が変わらなければ社員も会社も変わらないと教えられ、自ら変わることを求められました。当時、会社としても人が増え、仲間内ではなく組織にしなければという気持ちはありましたが、技術屋ばかりでしたから仕事だけできれば良いという雰囲気で、自分たちが会社をつくるという意識もありませんでした。社員の人生を預かっている以上、経営者として決意し少しずつ意識改革をはじめとした実践に取り組みますが、私が言っても伝わりません。そこで、第三者として関わってもらったのが本日の座長である(有)オフィス岩本の岩本昌信氏です。

 役職で呼び合うという慣れない部分から、リーダーシップの研修を行いました。社員研修というと下からと言われますが、組織は上から変えなければ下の変化をつぶしてしまうと思い、まずは役員から取り組みました。会社組織としての指揮命令系統を作らなければいけないというアドバイスもあり、会社組織図も作成します。これらができてから、ようやく一般社員の研修を行いました。

 また、このころはずっと社員共育委員会に参加しており、年に1回の全国交流会で東京大学名誉教授である大田尭先生から学んだことがあります。先生は、「人は必ず成長する、必ず変わる、そう思って携わらなくてはいけない」ということをおっしゃいました。また、全員同じではなく個性があるのだから、それぞれの個性を生かさなければならないということ、教え諭して「自分が変わらなければいけない」ということを自覚しない限り人は変わらないこと、そう思うまで待たなければいけないと学びました。ずっと待っても変わらない人間もたくさんいました。結果的にそういう人間は辞めていきました。社員がその気にならない限りいくら言っても無駄です。その気になるまで待たなければいけないけれど、厳しく指導もしなければいけないということも確かです。

 経営者がどんな動機で経営を始めたとしても、従業員との共同・協力こそが企業存続の条件です。だから、労使が共に育ち合える土壌づくりをめざして共育に取り組まなければならないということを同友会で教えられました。

当社の事業承継

 さて、当社の事業継承についてですが、中小企業では珍しい第三者へのバトンタッチです。なぜ親族以外かというと、起業そのものが以前の会社を奪い合う裁判闘争の中で仲間たちと独立したので、自分だけの会社ではないという思いを終始持っていたからです。さらに、会社を始めたころには役員の親族を雇ったことでのトラブルもあったため、二度とそのようなことがないように親族は入社させないと決めました。社員にも事あるごとに「会社は公器であり、ここで働いている人間のものである。次期の役員は社員の中から能力のある人間を選ぶ」と言い続けていました。

 そして他に大切なのは、経営者自らが退職時期を決めることです。経営者は自分が決めなければだれも決めてくれません。私は65歳になったら社長を退任し、若手にバトンタッチすると決め、55歳くらいから役員の退職金の積立やその後の体制を考えました。

人財(後継者)の教育

 事業継承で何が問題になるかというと、人財(後継者)の教育、そして個人保証と株式についてです。まず、事業を引き受ける能力を持った後継者となる者がもしいなければ、育てないと仕方ありません。弊社では、メンテナンスと修理の技術経験を有した者に営業を経験させています。技術がある者でないとお客様を説得できないからです。そうして一社員として成長し、後継者、そして経営者として人を引きつける魅力や判断力、人を見る力、学ぶ姿勢や資質があるか、公私の分別がつけられるかなどを判断します。これらの中では公私の分別が一番大切です。何も意識せずに役員になれば、何でもできてしまいます。それを止めるのは自分自身しかないので、それができない人間は役員になれません。

 事業を引き継ぐまでの経営者としての教育は、個人ではなく集団で何をどのように継がせるかを考えました。社長一人に会社を任せるのではなく、経営・営業・技術の3本柱を明確にし、それぞれに会社を存続させる経営理念の大切さを自覚させることに重点を置きました。そのために、次世代を担う社員は同友会の社員共育委員会や青年部会、経営指針書作成に取り組む場として京都で実施している「『人を生かす経営』実践道場(以下実践道場)」などに参加させ、同友会を徹底的に活用しました。自社は何のために存在しているのか、自分は何のために働いているかを考える機会を与え、自らも経営者であることを自覚させました。

 また、同友会や商工会議所で「役」につけることで多くの経営者と話し合える場を与え、経営者としての自覚と共に人脈を広げ、人前で自分の意見を堂々と話す経験を積ませました。こうして経営幹部として育て、経営能力・営業能力・技術能力の3点で人選し、直前まで公表せずにいました。

経営指針書で動く会社組織

 人財・後継者育成は経営指針書を軸とした会社経営の確立からです。かつては、一泊研修で指針書を作ったものの、社内で発表する勇気もなく机の中にしまいこんでいました。それが、社員向けの研修を重ねるうちに指針書があるなら出してほしいと言われ、2000年から指針書を社内で発表し、社員と共にその作成と実践に取り組んでいます。その後2006年にはまず自らが第1期実践道場に入門し、既に作成していた経営理念の検証をします。 今まで指針書を作成する時に難しかった経営方針・戦略・計画の立案を学びました。後継幹部も全員実践道場に入門し卒業しました。

 そして指針書に基づき売上目標・利益目標の実践と達成、事業計画や個人目標といった形で「商い」としての経営計画の実践を行っています。成功報告ではなくまだまだその途上ではありますが、さまざまな場面で理念・指針書による経営実践を行ってきました。

 その一つに、2006年6月3日、業界にとって青天の霹靂(へきれき)とも言える事故が起こりました。世界的なシェアを誇る大手メーカー製のエレベータによる死亡事故です。私は、同年5月20日に業界の会長職を拝命しておりました。メーカー系列は報道各社からの問い合わせには一切答えませんので、われわれのような独立系保守業者に一斉に取材が来ます。それぞれの会社で返答していてはいけないと思い、全ての取材を会長である私に回させました。当時、会社には電話で取材が殺到しました。この事件で一番怖かったのは、自分たちの商売ができなくなる可能性です。この事故では独立系保守業者が点検をしていましたので、エレベータのメンテナンスはメーカーでないと駄目だという考えが定着すれば、もう商売はできません。そのためにも、国土交通省からの事故調査委員会への参加要請には、業界代表として参加しました。

 このような一連の動きの中で、一番変わったのは社員だと思います。社員は自分たちのしている仕事の責任の重大さを肌身で感じ始め、日ころの定期点検の大切さや、ひとつ間違えば会社の存亡にかかわることを目の当たりにしました。そして、自分たちの経営者が堂々と業界の不条理さを訴え、自分たちの考え方を述べる姿を見る機会を得たことで、業界の中で自社の果たす責任の重さと、真面目な企業姿勢に誇りと自信を持ち、頑張っていかなければと思ってくれました。この事件をきっかけに、直ちに経営理念に「安全と安心を守る」の言葉を挿入し、経営理念に基づく経営実践が明確かなものになりました。

 次に、2008年のリーマンショックをきっかけに、大口顧客の価格減額要請が相次ぎました。社員それぞれが頑張ってくれたのですが、役員報酬の20%減額、社員の昇給停止、決算賞与1カ月を0.5カ月に減額支給、交際費全面カット、といった全ての経費削減を決定しました。今まで毎年、何も心配せずとも給与は上がり、世間では賞与の支給もなくなっていたのに創業以来年間5カ月以上の賞与を支給してきた、そんななかの決定でした。そうしないと乗り越えていけなかったのです。創業以来始めての急激な外部環境の変化による困難な状況の中、これを耐えられたのは経営指針書があったからだと思います。

個人保証と株式の問題

 会社ですから借金をしていますので、最後は個人保証と株式の問題です。親族でない者に事業継承する時は、本人が了承しても借入金の保証人の問題で奥さんが反対すれば、それでおしまいですから、その辺が一番問題かと思います。

 当社では、経営指針書の発表の際に取引銀行である地方銀行や信用金庫の支店長を招き、発表会を見てもらいます。2~3年続けているとこの会社はこの方向で頑張っていくのだなということが分かります。そして、昨年32期に現社長が就任した時に、銀行に対して「経営者保証に関するガイドライン」(注)に沿って個人保証を抜いてもらうように要請し、本店に稟議書を上げてもらいました。後日、銀行がこれを了承し、すべて外れました。何が幸いしたかと言えば、個人資産と法人資産をきちんと分けていたことです。土地や建物も全て法人で借り入れをして、法人の所有になっています。今から事業継承を控えている方は、社長名義で買って会社に貸す形はやめてください。法人と個人は分けておかないと保証人は抜けません。他に、中小企業の会計に関する基本要領に基づく会計処理を実施しておくこと、そして引き継がせる側がバトンを完全に渡すことです。ハンコも決断も任せ、役員会などで経験上のアドバイス程度にする。渡しているつもりでも、引き継いだ側はどう思っているか分かりません。

 そして、株式譲渡の問題です。一番良いのは若手に株を買い取ってもらうことですが、今まで利益を必ず上げ、右肩上がりに業績を伸ばしてきたので自社株は高額になっています。まだそれほど多く報酬はもらっていない若い後継者では、高額になった株式を買い取る資金がありません。同族の場合は株式譲渡にさまざまな特典がありますが、第三者の場合は非常に難しいです。ここは、現在ホールディングス化等銀行と相談をしながら知恵を絞っている最中です。

今後の課題

 いくつか今後の課題もあります。将来、後継者が道を誤った場合にやめさせる手段はあるのか、権力闘争を行わないようにするにはどのようにすべきか、といったことや、京都エレベータ株式会社の今後についてです。どんな企業も30年が一つの区切りとなり、新たな事業の柱が必要となります。今までメンテナンスをやってきましたが、今や過当競争になっています。このままメンテナンスだけでは商いはできないと思いますので、リニューアル工事を増やすことや新たな事業展開等、別の道を探さなければならないということを課題として持っています。

 事業継承の道にはM&Aをはじめ、さまざまな手段があります。私たちの年代でバトンタッチしなければいけない人は多くいると思いますが、同友会会員であれば、できるだけバトンを継がせる者を同友会に入れて一緒に勉強させ、同じ経営者としての知識なり能力を高めていってもらうのが一番スムーズな事業継承であり同友会的事業継承になると思います。

経営理念

・私たちは、お客様第一主義を貫き、24時間対応の技術サービスを通して「安全と安心」を守り、社会に貢献します。
・私たちは、自己啓発をすすめ、お互いの成長を願い、働き甲斐のある企業風土をつくります。
・私たちは、技を磨き、知恵をしぼり、熱意をもって行動し、目標に向かい限りなき挑戦を行います。

会社概要

設 立:1983年
資本金:1,000万円
従業員数:62名(協力業者含む)パート・アルバイト11名
年商:約6億5,000万円
事業内容:エレベータ・エスカレータ・多段式駐車装置等の保守点検管理
URL:http://www.kyoto-elevator.com

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