シリーズインデックス:わが社の事業承継

【第39回】カリスマ創業者から引き継いだ二代目の覚悟 (株)吉田工業 取締役会長 吉田 徳夫氏・代表取締役 吉田 智氏(新潟)(2017.02.15)

吉田徳夫会長と吉田智社長 (株)吉田工業 取締役会長 吉田 徳夫氏・代表取締役 吉田 智氏(新潟)(2017.02.15)

集塵装置  1980年創業。(株)吉田工業(吉田智社長、吉田徳夫会長、新潟同友会会員)は、工場の空気環境の困りごとを解決する事業を主にしています。燕市はナイフ・フォーク・スプーンなどの洋食器の生産が盛んな地域であったために、それに伴い洋食器を磨く「磨き屋」が多く存在しました。磨く際には粉が出ますが、その粉が人体に悪影響を及ぼすということで、同社はそれを吸引する集塵機を設計・製作・据付していました。燕市の工業団地に行くと、ほとんどの会社でこの機械が設置されていて、その大半は同社が設置したものです。しかし、洋食器も次第に海外製の安いものへと変わっていき、今では磨き屋は良い時の10%ほどしか残っていません。仕事先の中心が研磨業界だったため、一気に仕事がなくなり会社は厳しい状況でした。しかし、父の徳夫氏(現取締役)は、昔からとにかく仕事を断らず、困りごとは必ず解決するというのが有名で、吸引する技術を生かし、いろんな産業の集塵をするようになっていきました。

親父の社風

 会社の調子が良くなってくるころには、智氏(現社長)は大学生で、工学部を卒業した後、地元のパチンコ屋に入社しました。入社から2年で店長になりましたが、人を教育するのが苦手で、家に帰るたびに父親に相談していました。その後、苦労していた店長としての仕事が上手くいくようになっていくにつれ、「経営者になりたい」という思いが強くなり、その思いから(株)吉田工業に入社しました。

 入社してみると、非常にたくましい会社であるということに驚かされました。会社にはマニュアルがありません。同じ案件の見積りでも、社員それぞれで違う金額が出てくるくらい自由な会社でした。自分たちで調べあげて仕事をしていました。もし失敗しても怒らないというのが、徳夫氏のやり方でした。社員は、間違っても怒られることはないので、失敗を恐れず積極的に仕事をして、自分で切り拓いていくということがモットーでした。

 そのころ、自社のホームページを作ったことで、県外からのお客様からの受注が増えていきました。今では4億円の売上のうちで2億3,000万円がホームページの受注からです。ホームページからの問い合わせには、どんなに遠くても現地調査をします。もちろん仕事にならないこともあります。「売ること」を目的としている会社が多い中、同社は「お客様の問題を解決すること」を目的としているので、他社より見積りが高くても、選ばれるのです。

社長になる

 2013年の正月に、母親と二人きりになった際、何の気なしに「社長はいつ変わるのか」と聞いたことがきっかけで、その翌日には、徳夫氏も「交代する」の一色で、周りにも言うようになりました。智氏が入社して8年が経過したその年の8月1日に会社を継承することになりました。継承前は、社長になりたいと思っていましたが、実際になってみると何をしたらよいかわかりません。

 そこで考えたことは単純です。「親父がやってきた社風を引き継ぐ」。しかし、そう上手くはいきません。社員が仕事をさぼっていても、父親は怒りませんでしたが、智氏は、そういう社員を見て、毎日イライラしていました。そこで、「業務進捗管理表」を始めました。だれがどんな仕事を抱えているのかわからなかったため、社内の仕事を見える化をするのが目的でした。これをしたことで、今まで見えなかった先の仕事まで見えるようになりました。裏の目的としては、働かない社員を露呈してしまおうという智氏の考えもありました。しかし、それが社員にプレッシャーを与えてしまい、創業以来36年間退職者ゼロだった会社で、1人の社員が辞めてしまいました。

経営指針をつくる

 経営者としての理想像がないと感じていた智氏は、新潟同友会の「経営指針を創る会」を受講しました。「吉田徳夫の経営ではなく、吉田智の経営とは何か、自分は何がやりたいのか」ということを6カ月間、社員や同友会の仲間に手伝ってもらい、自分らしさを探しました。どうやったら吉田徳夫になれるのかを考えていた智氏にとって、その答えを見つけるのは非常に難しいことでした。

 そうして最終講になって、「ともに世界をひらく」という理念が生まれました。「世界を開拓したい」というのが自分らしさとわかりました。国内から海外という世界観もありますが、新しい市場、新しい顧客を開拓したいという思いもありました。この理念をつくっている時に、智氏は創業以来の大損出を出してしまいました。その際、社員や取引先の皆さんに支えられて乗り越えることができました。それまで絶好調だった智氏は、自分一人では何もできないということに気づかされたのでした。

自分らしさ

新社屋  経営指針をつくったことで、事業承継への迷いを吹っ切ることができました。そこで、気分も一新、社屋の外壁の色を明るく変えたり、看板表記を変えたりと、自分らしさを経営に取り入れるようになっていきました。現在、メインの仕事だった集塵機の受注は2割程度になり、クリーンルームや塗装ブースなどの案件が増えています。

社員さん  同社では今、お客さまにお会いした際の提案力、設計コンサルタントが強みとなっています。そのため、提案はしますが、その後は現地の業者にやってもらってもいいと思うようになりました。大きな案件も、智氏の身体一つあればできるようになってきました。業務転換を徐々に始めています。

 また、社内レクリエーションの機会を増やしました。智氏は、社員に深く関わっていきたいと、レクリエーションや面談などにも取り組んでいます。関わりを持つようになったことで、経営者と社員の距離、社員同士の距離が縮まっていき、会社が明るくなりました。近くの会社4社で若手交流会なども開催しています。

今後

社員さん  今後は、(株)吉田工業がこの地域にあって良かったと思われる会社、また社員がこの会社で働いていて良かったと思える会社にしていこうと取り組んでいます。智氏は仲の悪い親子を見ていると父親の背中のほんの一部しか見ていないように感じると言います。「(株)吉田工業が36年間残っているということは、お客様に支持されてきたという紛れもない事実です。それに異を唱えているせがれの方が間違っていると思う。会社の歴史を見たら、ケンカする相手ではない。次元が違う。家族経営でうまくいっていないところは、親父の歴史を見てもらいたい」。社員の経験、お客さん、たくさんの財産をそのまま引き継ぎました。せっかくもらった財産を、より生かして、燕に(株)吉田工業があってよかったと思われる会社にしていきたいと智氏は語ります。

会社プロフィール

創 業:1980年
資本金:1,500万円
年 商:3億円
従業員数:21名(内パート・アルバイト5名)
事業内容:公害防止機器の設計・製作・据付、各種ダクト工事、局所排気装置取り付け、簡易クリーンルーム、集塵機、ジャバラテント付プッシュプル装置
所在地:新潟県燕市吉田法花堂1853-8
TEL:0256-92-6032
URL:http://www.k-yoshida.co.jp

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