【第23回】伝統産業は自分が守る! (株)佐野疊屋 代表取締役 佐野 典久氏(福岡)

佐野典久社長

(株)佐野疊屋 代表取締役 佐野 典久氏(福岡)

炭鉱で栄えた町「田川」

 佐野典久氏(佐野畳屋社長、福岡同友会会員)の会社があるのは、昭和の時代に炭鉱で栄えた田川市。かつて10万人以上いた人口(1950年代)も今では5万人弱になってしまいました。市外の人に「田川出身です」と話すと、「ああ、何もないところね」という言葉が返ってくるようになりました。

 田川は15歳を超えた労働者層が都市部へ出ていきます。若い人は田川を出ていき、40年で子どもがいなくなるという推移です。

 空き家にシャッター商店街、道にはだれも歩いていない。人口減少社会に突入した日本では、将来、多くの町がこのような状況に陥ることになります。

衰退する畳業界

 佐野氏の祖父が畳作りを始めてから、畳業界も大きく変わりました。田川市内に十数件あった畳屋も今では7件ほどになってしまいました。炭鉱で栄えたころは、住宅が多く建ち、新しい畳の納品や表替えの仕事も多く、時には近所から手伝いを呼ぶほどのときもあったほどでした。

 しかし、町の衰退と日本人の生活様式の変化によって、伝統の畳の需要は減っていきました。和室の減少や機械化による大量生産、中国表、化学表の普及による国産表の減少など。国産のい草にいたっては、2割ほどしか使われていない状況です。畳業界は衰退しており、畳屋になっても食っていけないという風潮に。そんな業界に佐野氏は身を投じたのでした。

家業に入る

 佐野氏は高校卒業後、福岡市内の音楽専門学校に進み、バンド活動に明け暮れました。専門学校を中退してからは、居酒屋で働きながらバンド活動を続け、居酒屋の仕事の後、深夜の時間に練習していました。好きなことを思い切りやる人生を送っていました。

 福岡市で暮らし始めて4年ほど経ったある日、母親が一言「キツイ」と発しました。
 
 家業に入ることを決断しました。家は67年ほど前に祖父が始めた畳屋で、炭鉱バブルでたくさんの建物が建った時代でした。

 家業に入った10年後、二代目の父親から受け継ぎ、三代目としてスタートを切りました。

畳というものをもっと知ってもらいたい

畳づくりの様子

 畳づくりを始めてしばらくして、佐野氏は多くの人に畳の良さを伝えるために、興味づけをすることにしました。コースターや名刺入れ、ブックカバーなど、い草を使用した商品をつくり、畳に触れてもらおうとしたのです。さらに畳のよさが伝わる形にするために、何をしようかいろいろと考えたところ、あるイベントを開催することになりました。それは、新築時の畳の納品の際に、最後の1畳を施主さんが畳屋さんと一緒に手縫いをして、自分たちで自分たちだけの畳を作り、敷き込むというものでした。

 施主さんと畳屋さんが一緒に畳をつくり、楽しみながら畳をつくりました。「家づくりに関わって子どもと思い出づくりができた」という声をもらった佐野氏は、畳を縫う体験をしてもらうことに手応えを感じました。自分で縫った畳に愛着を持った施主さんたちは、表替えをしてくれることでしょう。子どもたちは、小さいころから畳に触れることで、畳への愛着を持ち、将来の顧客になります。

衰退産業であっても、本気であれば伸びる

 新しい顧客づくりとともに、佐野氏はい草の生産者との付き合いを大切にしています。6年ほど前から付き合いのある熊本県八代市のい草生産者のところでは、3年前から毎年い草刈りを手伝い、絆を深めています。

 お客さんにも愛着やこだわりが芽生えることがあります。ある日、生産者の思いや畳の良さをお客さんにした後に畳を敷き終えたところ、くしゃっとした笑顔で畳に頬ずりをしてとても喜んでもらいました。

 「満足ではなく感動を与えたい」「あの時の顔をまた見たい」。そう思うようになり、本物にこだわり、い草農家を訪ね、い草づくりの信念を学び、時に技術研修会に参加して知識や技術を高めるようになりました。

経営者として学びたい

 代表になった佐野氏は、畳の製造だけではなく、資金繰りや営業活動に明け暮れました。やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあるのに、どうすれば良いのか整理がつかない状態でした。

 2015年11月、地元の先輩経営者から福岡同友会へ誘われました。田川に支部をつくる。一緒に同友会で頑張ろうという言葉でした。「同友会を知る会」に参加し、すぐに入会を決めました。ちょうど、きちんと経営者として学びたいと思っていたところでした。

同友会の学びで全てが一本筋に

 入会後は、「経営指針作成あすなろ塾」(経営指針作成の入門編)と「経営指針作成セミナー」(2泊3日の合宿)を受講し、すぐに経営指針の作成に取りかかりました。経営指針を成文化してやりたいことや必要なことがはっきりしました。また、外部環境についても考えるようになり、やらなければいけないことと全てが一本筋になりました。

 いろいろと頭の中にあったこと、短期的にやることや中・長期的にやること、すべてを明確にしました。短期的な利益になるものを追い求めるだけでなく、将来を見据えて中・長期的なことに取り組んでいくことが大切だと気づきました。家づくりに関わることにしたのも、経営指針作成で考えをまとめたのがきっかけでした。

地域を巻き込むために

 「同友会の考え方は、中小企業が伸びればよい町になる。自分の会社を伸ばして周りの会社も伸びたら、よい町づくりになる。人口が増える町ではなく、子どもたちが誇れる町にしたい。そして、自社だけでなくても、田川には○○という会社があるよ、と言われるような町にしたい」。そう語る佐野氏の2人の息子は、い草を持って帰ると「あ!い草やん!」と言うようになりました。そんな2人は将来、畳屋になりたいと言っています。
佐野畳屋

経営理念

人間尊重  一人一人の個性を尊重し、みんなで倖せ(しあわせ)になろう
自然尊重  一つ一つの素材に感謝し、未来に誇る行動をしよう
感動重視  如何なる時もわくわく忘れることなかれ
      世の為、人の為に感動を生み出していこう

行動理念

良いモノづくりで満足を生み出していこう
良いコトづくりで信頼を生み出していこう
良いココロづくりで感動を生み出していこう

経営フィロソフィ

モノづくりはヒトづくり
自己研鑽と凡事徹底で心を磨く

会社概要

創 業:1952年
事業内容:新畳制作、表替え、畳雑貨、壁紙、襖・障子、マドまわり。天然物にこだわった商品
従業員数:3名
所在地:田川市大字伊加利1697-1
URL:http://www.sano-tatamiya.com