【第54回】会社の歴史をブランドに 大東寝具工業(株) 会長 大東 和子氏(京都)

大東会長

大東寝具工業(株) 会長 大東 和子氏(京都)

 大東和子氏(大東寝具工業(株)会長、京都同友会会員)は、「寝具業という縮小する市場で生き残るために、細い糸をつなぐようにものづくり、市場づくりをしてきた」といいます。同社の商品は京都市・京都府・経済産業省からさまざまな認定を受けています。

社長就任と同友会入会

 同社は大東氏の父親が1925年に創業しました。32年前に2代目社長だった大東氏の夫が42歳で急逝し、大東氏が社長に就任しました。「布団の作り方以外、会社のことは何も知らない専業主婦だった」という大東氏に、最初は同情してくれた社員も半年たつと仕事の密度が落ち、大東氏が頭を下げて仕事をしてもらう関係になっていました。

 そのころに京都同友会に入会、社員と意思疎通できていなかったことに気づき、社員に「なぜ一日にこれだけの布団を作らなければならないのか」ということから説明しました。そこから社員がひとつにまとまりだしました。

事業を継続するための時代への対応

 1980年代に入り、「スーパーストア」「量販店」が進出し、布団づくりも機械化・オートメーション化が進み、大量生産されることになりました。同社でも設備投資や倉庫の増設をし、月に何千枚もの布団をつくりました。

 しかしある時、取引先から「製造だけでなく販売も力を入れてみたら」と勧められたその製品を見ると、半年前に自社で生産した布団でした。大量生産した布団は流通過程で倉庫に山積みにされていたのでした。ショックを受けた大東氏は「方向転換するしかない」と決意、他社がまだ機械の増設をしている中、大型機械を小型の機械に買い換え、工場も縮小し、多品種小ロット、「何でも作れる会社」「隙間の仕事ができる会社」に作りかえていきました。それにより売上は一時下がりましたが利益率は上がっていきました。

作業風景

 大手メーカーに勤めていた長男が1988年に入社。それをきっかけに、販売にも乗り出しました。若い世代への販売促進のために新社屋の1階を雑貨販売フロアにしたり、その後の中国製の安い雑貨を販売する「100円ショップ」の前身が展開し始めた際には、「うちは何でもつくれる会社」と議論してカーテンや座布団も手がけるなど、さまざまな課題に挑みました。

 そんなある日、大東氏は癌(がん)の告知を受け「あと1年の寿命」と宣告されました。「1年でしておかなければならないことは何か」と考え、長男への社長交代、取引先や銀行の信用を社長に引き継ぐことに奔走しました。そして8年がたった現在、癌(がん)の影はなくなりました。「会社に対する義務と責任が命を超えたと思う」と大東氏は言います。

ブランド名に負けない企業に

商品

 その後、社長になった長男を中心に取り組んだネット販売が順調に成長。ネット販売に取り組む中で、デザイナーから「80年続いた会社の歴史がブランド」と教えられ、自信を持って宣伝できるようになりました。社長を中心に社員たちとつくった経営理念「わくわくドキドキする想いで快眠とくつろぎの創造をし、お客さまの健康と快適な暮らしに必要な会社」に基づいたブランド商品の開発に、さらに力が入ります。

会社概要

創 業:1925年
資本金:1000万円
年 商:3億円
社員数:18名(うちパート・アルバイト9名)
事業内容:寝具・寝装品の企画、製造、販売
     カーテン・インテリア関連品の企画、製造、販売と施工
     インテリアリフォーム
URLhttp://www.daitoushingu.com/