【第14回】ここにいる仲間と全員経営 (株)木村工業 代表取締役 木村晃一氏 (東京)

木村社長

(株)木村工業 代表取締役 木村 晃一氏 (東京)

時代と共に成長

 東京の南、田園調布にも近い閑静な住宅地に(株)木村工業はあります。創業は今から42年前の1969年。東京オリンピックを契機に東京タワーや首都高速、地下鉄、郊外には多くの住宅が建設され、急速に都市機能が整備された高度成長期の真っただ中でした。

 先代である父親がガス配管や道路工事の経験を生かし、上下水道施設、道路舗装、橋梁工事などインフラを担う会社として立ち上げたのがその始まりです。公共工事を中心とした企業体系は1件当たりの受注額が1億円と高額なこともあり、着実に年商20億円を売り上げる企業へと時代と共に育ちました。

 木村氏は、入社後常務として現場の第一線に立ち、どんな仕事もできる、会社に欠くことのできない存在でした。「社員が仕事の話をしていると『自分抜きで話しが決まるはずがない』と思い、細心細部に渡り横から口を出した」と木村氏は言います。加えて社長の息子ですから自称するようにまさに「無敵の社員」でした。

 会社の方向性は社長が決め、社員も常務や社長に細かい判断を仰ぎます。方向性は時には自身の思いつきで変化していく社風がそこに築かれていきます。これを木村氏は、「各車両にモーターのある新幹線ではなく、先頭車両が牽引する機関車のような会社だった」と、当時を振り返ります。

事業継承と黒字倒産の危機

 時が平成に移りバブルが崩壊すると財政赤字の標的として公共事業は10年で半減。木村氏が先代から会社を継いだ2007年は、まさに業界全体で淘汰が進む大転換期でした。継承と同時にこれまで企業を成長させてきた幹部は先代と共に引退。現場一筋だった木村氏は、社員を集め幹部を指名し「幹部会」を誕生させます。「それまで『無敵の社員』だった私が、作業靴から革靴に履き替えたとたん、何もできなくなりました。感覚としては何とかなるとは思っていましたが、新幹部も経営陣としては素人ですから会社として見積もりもだせない状態でした」と木村氏。

 同業者の倒産が相次ぎ、同社も受注が半減、月500万円の返済に加え5,000万円の支払が年2回と経営を圧迫しました。こんなに仕事をしているのになぜ会社に金がないのか経理に聞いてもわからず、返済をするために仕事を受注する典型的な自転車操業。銀行の貸し渋りも追い打ちをかけました。

社長一人の力から、共に育ち、社員と育てる「よい会社へ」

 黒字倒産の危機を経験し、木村氏は先代のカリスマに支えられた、売り上げ重視の経営に疑問を感じていました。社長一人では限界がある。社員の総合的な力をアップし全員で経営しなければ、この難局は打破できないと判断します。それには、自らが考え行動できる自立した社員を育てる社内環境、その整備が必要性だと痛感します。

 同時に、何のために会社を継承したのかという根本的な問題を自問し、さまざまな学びの場に飛び込んでいき、東京同友会には2007年に入会して経営指針成文化セミナーに参加しました。
 
 そこで学んだのが経営の骨格となる経営理念の重要性です。同社の経営理念には、経営者も社員も「共に育ち・共に活き・共に発展」と明文化されています。行動指針では「ひとり一人の行動が会社の未来をつくり上げます」「どんな困難に直面しても最後まで全員の力を合わせ大きな成果をあげます」とあり、全員経営への方向性を明確に打ち出していきます。

 みんなで掲げたスローガン「よい会社にしよう」への具体的な取り組みがスタートしました。

「よい会社へ」の仕組みづくり

 全社員が集まる場も機会もなかった会社で、全社員面接から始まり、社員参加の業績革新、「職場環境委員会」の運営など、社員とともに育つ「よい会社づくり」への取り組み項目はこれまでの5年間で33項目に及びます。加えて、①共有目標として「どんな会社にするのか?」、②意欲動機づけとしての業績と評価の連動、③コミュニケーションとしての年2回の合宿と4回の個人面談など、三つの基本要素を取り組み、組織を活性化してきました。

 なかでも②については「チャレンジシート」の取り組みがあります。社員全員が半年の目標と具体的な行動内容を業績改善、業務改善、自己改善の3項目について面接を経て自ら作成。3カ月単位で上司と面接を行い成果と反省をその都度チェックします。新入社員のチャレンッジシートでは、まず「新しいこと、失敗かうまくいったことを一つメモに残す」「工事日報の進行図を作成できるようになる」など基本的な目標が書かれます。半年後には、また新たな目標を設定していきます。

 チャレンジシートが短期的な目標を自己設定するのに対し、「やりがいある育成プログラム(やりプロ)」では日常業務では感じにくい7年間を11段階に分け、長期的な目標設定が明文化されています。「社会人の基礎」から、「班長」としての役割まで書かれたこのプログラムも社員による作成プロジェクトで検討し明文化されたものです。

朝礼

 朝礼にも社員の工夫が生かされています。四季を感じる屋外で1週間ごとに「コミュニケーション朝礼」「元気の出る朝礼」「一生懸命がんばる朝礼」をテーマに社員の一言コメントが入ります。現場で寡黙な社員も「父の日に、話したことのない父と話ができたことが嬉しい」などごく日常の出来事を通じて、人前で自分の意思を伝える訓練の場が設定されています。朝礼後、当初は握手で1日のスタートを切ったそうですが、今ではハイタッチで気合いとコミュニケーションをとる形に変化しました。

 また社内の意識改善としてゴールから物事を考える組織への転換があります。CCS(コスト・コントロール・システム)により限界利益と徹底的なコスト管理を行い、目標利益を確保するためにはどう対策を打つかを思考の出発点とすることで、月間目標を修正しながら社内でのPDCAサイクルを強化しています。

 2010年6月には、全社目標を達成し賞与の支給と旅行を慣行、3年に及ぶ地道で粘り強い取り組みにより「カリスマ経営」から「全員経営」へ脱皮し、その成果を結実させました。

新卒採用でまた共に学ぶ

新入社員

 2010年からは新卒の定期採用にチャレンジしています。中途採用中心から会社の次代を育てる新入社員を2012年度は7名採用しました。新入社員の育成方法や研修プログラムなどは、班長同士が自主的に会議を開き研修内容を練り上げます。終了後には研修生に理解し難い部分を率直に指摘してもらい、来年入社する後輩の参考とするそうです。班長が新入社員の育成に積極的にかかわることで、班長も共に育っていきます。

技術者を育てる次のチャレンジ

研修の様子

 木村社長は次なるチャレンジとして、今期、海外留学生の技術者育成を事業化することを掲げました。発展途上国でのインフラ整備は今後益々需要が高まることを見通し、新事業として計画。現在(財)川崎市産業振興協会の「かわさき起業家オーディション」の2次選考を通過し、最終選考に進んでいます。事業化以外にも外国人に技能を教えることで、教える社員が異文化や多様な習慣に触れ、世界が広がり成長する。そのことがさらに会社を成長させていくと木村社長は考えています。

 会議ではイキイキと真剣に発言する社員の姿と、自然な笑顔が絶えません。人に命令されて行動を起こすのではなく、自らの夢と、会社の成長を描きながら働く社員とその社風がここに垣間見えます。

 「会社として、社員と仲間になれたことに『ありがとう』と感謝しています。社員教育は経営者教育でもあります。共に学び、社会を歩む仲間として、ここにいる仲間と全員で経営をしていきます」と木村氏。厳しくもあり暖かみを感じる言葉に社長の人柄を感じました。

会社概要

創 立:1969年
資本金:4,000万円
事業内容:土木建設業
従業員数:64名
所在地:東京都大田区中馬込三丁目8番3号
TEL:03-3778-9211
URL:http://kimura-kougyou.com/