【特別版】365日笑って働ける会社をめざして 川田紙工(株) 代表取締役 川田 昭宏氏(大阪)

川田社長

川田紙工(株) 代表取締役 川田 昭宏氏(大阪)

~第42回青年経営者全国交流会in奈良 第13分科会の報告より

 当社は、1948年に戦争から帰ってきた祖父が大阪市内中心部で創業し、約2年前に亡くなった父が30年間会社を守り、現在私が3代目を継いでいます。私は大学卒業後、アパレル会社に2年、印刷会社で5年間働き、2002年4月に当社に入社しました。

入社当時の状況

 当時の当社は、売上は右肩下がり、社員はバラバラ、会議なども一切なし、みんな自分の仕事だけするといったような状況でした。ただ、その大半が腕を持った職人集団で、その経験と実績で仕事はそれなりにできていました。

 私は、まず売上確保のため営業部を立ち上げました。現場は先代の父と弟に任せ、同じ営業でも下請けの営業ではなく、納期や価格である程度主導権が持てるメーカーから直接仕事をもらう営業を目指しました。1年程は苦労しましたが、少しずつ実績を積み重ねていくことで信用してもらい、順調に数字を伸ばすことができました。

社内改革

 入社半年後に社員全員と「どんな会社にしたいか」一人ずつ話をしました。その後、書面で保管する品質管理や工程管理、月1回の全体会議、部署内のミーティングを実施。だれがやっても基本的なことは同じようにできる作業手順書づくりも提案しました。ほぼ全員から反対されましたが、それでも強引に進めていくと、2年目を過ぎたころから退職が止まりません。会議やミーティング、書類の提出など決めたこともすべて実行できずにいました。

経営者にならんと…

 そんなとき、父が入院。「再発したら助からない」と宣告されましたが、治療しながら亡くなる3日前まで7年以上現場に立ち続けていました。私はこの間「ただの営業マンをやめんとアカン」と思い、営業から少しずつ手を放していきました。このころ、父の同業の先輩経営者が先に亡くなり、その葬儀の席で、自らも病と闘っている父が、その会社の社員たちに「私に何でも相談しなさい」と熱く語ったことを思い出します。その姿を目にして、経営者としての覚悟が足らなかったことに気づきました。

もう一回スタートしよう

 これを機にもう一回やり直そうと決意し、各部署の若手リーダーと工場長と私の6名で会議を再開しました。月次の決算も公開し、年2回の賞与支給の際には、全員面談を実施し要望や悩みを聞きました。同友会で学んだ「ありがとうメモ」を入れることも始めました。気がつくと社員の退職が止まっていました。

 ある年の面談で社員から「将来に展望が持てない」と言われました。考えてみると目先のことばかりを追いかけていたように思います。そこで、「経営指針成文化セミナー」を受講し、すぐに指針作成に着手しました。最初は幹部だけで半年かけてつくりましたが、2年目からは全社員に「5年後の理想像」と「3年後の環境予測」の用紙を提出してもらい、皆で計画書をつくり上げ計画発表会を行っています。毎販売月の会議で計画の進捗具合を確認しており、今期で6期目になります。また、社員間のコミュニケーションを図ることを目的に、カレンダー作成委員会・広報委員会・レクリエーション委員会という三つの委員会をつくりました。

オリジナルカレンダー・紙製品の製作と新卒採用

 新たな取り組みとして、5年前からオリジナルカレンダーも作成しています。きっかけは、営業から「年末のあいさつにまわる際に手ぶらでは行きにくい」という声が、製造から「自分たちが作ったと言えるものを商品として作ってみたい」という声が挙がったことです。この二つの意見を合せて年末に 配るカレンダーを作りました。せっかく作るなら普通のカレンダーではなく紙の加工屋として立体的なものをつくろうと取り組み、今ではお客様にも喜ばれ、新商品として販売も視野に入れています。また派生してオリジナル紙製品製造も進めています。

 新卒採用も、2年前から同友会の大学共同求人に参加して取り組んでいます。入社に向けて準備し、先輩が後輩を教えるといった流れもできてきました。展示会初出展も2年前の10月に行い、売上も調子が良く、利益も出ている状態で、社内の雰囲気も変わってきたと実感していました。

一気に転落 親父の死去

 ところが翌月、これまでがんばってくれていた父が亡くなりました。さらに、その葬儀の翌日に母が脳内出血で倒れました。好調だった売上も通常の月の半分にまで一気に転落、母は手術をして帰ってくるまでに1カ月程かかりました。父が亡くなり沈んだ気持ちの状態で年を越し、年明け初出のあいさつで「『数年後、みんなが365日笑顔になれたとき、あの1年があったから今がある』と胸を張って言える1年にしていこう」と話しました。その後、働く環境の整備や就業規則・給与規定もつくり直しました。結果、前期の倍の利益を出し、会社始まって以来初の決算賞与を支給することもできました。

 そんな中、ある社員が「ここ5年何も変わってない」と辞めてしまいました。ここ5年というと、理念をつくり計画書の作成と実践をやってきた5年間。自分の中では変化を実感していました。

 しかし、現場では急ぎの仕事が多く、突然の残業や突然の休日出勤、管理体制ができていないことからくるムリやムダが改善されていないことに気づきました。こうした厳しい現実に対して根性論で乗り切ってしまった1年だったかもしれません。それについて行けないと感じた社員が辞めて行くことになったのです。

365日笑って働ける会社をめざして

 本当の意味での正念場は、今年から2~3年です。今期の計画発表会で(1)生産体制の確立と(2)社員教育体制の確立を私が軸になって徹底的に取り組むと宣言しました。これらは1年では完全にできあがるものではありませんが、いろいろな変化を全員で感じながら一人も欠けることなく、それに向かってチャレンジを続けて行きたいと思います。

会社概要

設 立:1957年
資本金:1,000万円
事業内容:紙器、紙製品の企画、製造、
年 商:2億5,000万円
社員数:25名
URL:http://kawata-ts.co.jp/