【第23回】社長としての独り立ちをめざす (株)高山活版社 代表取締役 高山 英一郎氏(大分)

 

(株)高山活版社 代表取締役 高山 英一郎氏(大分)

はじめに

 大分市で「印刷物を通じて新しい価値をご提案します」と掲げる(株)高山活版社(高山英一郎社長、大分同友会会員)は、1910年(明治43年)創業の老舗の印刷会社として、主に大分県内を拠点とし営業しています。曾祖父が印刷屋を買い取ったのが始まりで、官公庁の印刷物や議会の報告書・書籍を印刷していました。特に婚礼印刷物に関しては、昭和40年代のホテルウェディングの開始とともにいち早く招待状や座席表の制作にかかわり、時代の流れとともにデザインを変えながら現在も多くのお客様に支持されています。

言われるがままに…

「大学卒業後はいずれ入社するのだから」と、就職先は父任せにしていて、県外の印刷会社で何年か働かせてもらう予定でしたが、都合が合わなくなり、そのまま(株)高山活版社に入社することになりました。当時、厳しい経営状況の中で15名が働いていました。

 大分同友会へは、会員でもある伯父からの「経営者の勉強会に行くように」という一本の電話で、あっという間の入会でした。「どんな会なのか理解していなかったので、不安と緊張でプレッシャーを感じていました。最初に参加した経営指針成文化セミナーは意味が分からないまま、『事務所の壁に理念が貼ってあったなぁ』というくらいの感覚だった」と高山氏は言います。

嫌いだった「活版」という社名

 

 社名は古臭いし、実際に活版印刷の仕事もなかったので、社名から「活版」という文字を外したくて仕方がありません。しかし、先代の父は断固反対していて、「お前にもいずれ分かる」と言われていました。売れていないし、楽しくないし、やらされ感ばかりだったので、社長にはなりたくなくて「社長になれ」と言われないかと、ビクビクしていました。2015年に事業を承継しましたが、だれのおかげで105年も続けてこられたか、どうやったらお役に立てるか、貢献できるかを考えるようになると、「活版」の文字を外したいという思いがいつの間にか消えていました。

守り続けたい「活版」文化

 「たくさんのお客様に支えられてきた100年企業の伝統と社風を守りながら、これからも(株)高山活版社らしくお客様のお役に立つにはどうしたら良いかと考えると、これまで支持されてきた活版印刷を守ることだと感じました」と高山氏。

 

 そこで、活版印刷の文化の継承を考えるようになり、『高山活版社新ブランド「TAKAYAMA LETTERPRESS」オリジナル文具・婚礼ペーパーアイテムの商品開発および販路開拓と文化継承活動』をテーマとして、大分県の中小企業経営革新の承認を2015年2月に受けました。これは、活版印刷の技術を見直し、オリジナル文具や婚礼用ペーパーアイテムなどの商品開発と販路開拓を行うこと、活版印刷を広く周知するために、ワークショップや学校での出張授業、社会見学などを実施し、活版印刷の歴史や活字文化を知ってもらう活動を行うことを目的としています。
 
 活版印刷をアピールし始めると、デザイナーや同業者による見学が相次ぐようになり、活版印刷に対する自信が芽生えてきました。その縁で取り組んだ紙製品の展示とワークショップ「カミカイギ」では、「手動活版印刷機での便せんづくり」で活版印刷の味わいを来場者に体験してもらいました。今までは受注印刷だけでしたが、お客様の役に立つ印刷ができると確信が持てるようになりました。ただ、それでも活版印刷の売上は全体の2%もありません。

 

 活版印刷を大事にしたくても売上がわずかしかないので、メインにすることはできません。活版印刷を守るため、そして新しく社会に貢献できる事業はないかと考えて、防災商品を開発し商標登録を取得しました。東日本大震災や今回の熊本地震の経験から、明日起こるかもしれない災害で生き残るために防災意識を向上させ、命を守る、防災ステップキット「ソナエ」というノベルティグッズです。災害発生直後に何をすれば良いかが印刷された暖をとるエマージェンシーシート(商品名「あったか銀紙」)と、減災グッズチェックリストが含まれています。

 

 販路開拓のため、9月に神戸で開催された大規模な展示会や大分県ビジネスグランプリにも出展しました。大分県から始めて全国への展開を考えており、数年後には1千万円の売上を見込んでいます。ただ、防災商品の開発は高山氏一人の取り組みであり、「社員のかかわりが少ないことを気にしています」と高山氏は言います。

全責任は俺がとる!

 

 今期は売上が低迷しています。それなのに、全社会議でも社員のやる気・本気が見えてきません。高山氏が採用して手塩にかけて育ててきた入社5年目の社員が辞めてしまいました。1人辞めたのに、ピンチになっても社長が何とかしてくれるという雰囲気が、まだ残っています。社長交代の時に「茶色リンゴ(打てども響かず、周りに悪い影響を及ぼす社員の例え)に辞めてもらおう」という話がありましたが、何とか一緒にできないかと頑張ってきました。しかし、茶色リンゴは高山氏のことを社長と見ていません。でも、「社員が悪いのではなく、自分が未熟なのだ」と反省し、「今は幹部の力を借りて少しずつ巻き込んでいるところ」と前を向いています。

 高山氏は「これまで会長を頼りにして甘えていた」と振り返ります。会長は74歳になったので元気なうちに退いてもらいたいと思っていますが、会長名での借入を背負う不安を感じています。それでも「俺がやるのだ」という覚悟を決めて、会長に退任の時期を考えてもらおうとしています。
 
 今後は、自社の方向性を理解しようという姿勢のある社員とともに仕事をしたいと思い、そのためにも今後は新卒採用をし、共育していこうと考えています。また、どう思いを伝えていくのかも課題です。「会社の発展をめざすことは、経営者・社員全員が成長していくことだと考え、自らの姿を見せてより良い会社をめざして進んでいきたい」と高山氏は語ります。

企業概要

設 立: 1910年
事業内容: 印刷業(伝票、封筒、名刺、婚礼印刷、活版印刷、オンデマンド印刷、防災向けノベルティグッズその他印刷全般)
従業員数:12名
所在地 : 大分県大分市片島尻込301-1
URLhttp://takayama-p.jimdo.com