【第28回】創業者の思いを受け継ぎつつ、荒波を超えて第二創業へ メトロ設計(株) 代表取締役 小林 一雄氏 (東京)

小林一雄社長

メトロ設計(株) 代表取締役 小林 一雄氏 (東京)

 メトロ設計(株)(小林一雄代表取締役社長、東京同友会会員)の本社は、入谷・鬼子母神の隣にあるビル。1964年に祖父が渋谷にて創業し、今年で53年目です。地下鉄の駅やトンネルの設計、上下水道管や電力・通信の電線など地下のインフラの設計業務、自社ビルを活用した不動産賃貸業を展開しています。

 小林氏は1971年生まれです。子どものころの夢は科学者でした。中学生のときに祖父にパソコンを買ってもらい夢中になりました。一浪し、慶應義塾大学理工学部に入学。卒業してあこがれの燃料電池の開発をしたかったのですが、当時は就職難で先輩のつてを頼りディーゼルエンジンで有名な日野自動車に入社しました。3年後の1998年、トラックは海外への輸出が多く、車両の設計部に配属されることが決まりました。建設業もIT化の波に飲まれていた時期で、「エンジン設計ができないなら」とメトロ設計(株)に入社しました。

祖父の思い、父の理念に触れる

 同社はオリンピックの年に創業し、当時は地下鉄の建設ラッシュでした。創業者である祖父の思いが書かれた設立趣意書には、技術者不足だったため「若手を育てていこう」ということが書かれています。祖父たち営団地下鉄OBにとって、お客さんは自分の部下だった人たちです。けれど謙虚に、信頼される会社をめざしなさいという社訓がありました。

 父親が社長に就任してからは、国道の下にインフラを埋める仕事も始めています。父親の代になり理念のようなものが作られます。「地球の自然と環境の調和をめざす」というもので、ロゴマークもできました。「ハードな仕事だけれど人間も大事にしよう」というのが、先代が就任したころからの理念です。

浸透しない自分の理念

 31期には過去最高の売上8億6,000万円。取引先はほぼ100%官公庁でした。小林氏が入社した34期ごろから公共事業の予算が削減され、情報化の環境を整える必要も出てきました。小林氏は土木とは無縁でやってきたので、コンストラクションマネージメントを勉強するため大学院に通いMBAを取り、鼻高々になって会社に戻ります。営業・総務・経理・人事を一緒にした業務推進室をつくったり、コンサルタントを雇わずISOに取り組んだり、いろいろとやりました。ISO取得のためにつくった理念は横文字も多く、一緒に働いていた妹からも上から目線だなど散々言われました。もちろん社員には全く浸透しません。

 また、大学院でMBAを学んでいる当時、先代がビルの購入を考え、投資の判断をしてみてくれと前提条件で与えられた売上は右肩上がり。小林氏は何の疑いもせずにその数字を使って購入を勧めてしまいました。

経営危機と新規事業開拓

 創業者が亡くなり、2年後に小林氏は取締役に就任。ここで経営危機が発生します。一緒に取締役になった優秀な社員の急死。テナント入居していた専門学校が民事再生し賃料収入がゼロになりました。

 翌年、空いてしまったフロアで「ベンチャーステージ上野」というシェアオフィスを友人と共同事業として始め、自社の事務所も縮小してテナント賃貸を増やしました。現在は10年以上になり実績も積み、3年前からは中小企業庁より創業スクール事業を受託しています。昨年は、インキュベーション施設運営計画認定事業によって認定され、今年度も東京都のインキュベーションHUB推進事業を受託しました。

 その翌年、会社の経営は大変厳しく、赤字に転落。既存の経営資源で進出できる新規事業を探している時に、運よく静岡県の緊急雇用促進事業に入札し、システム開発案件を初受注。そこで静岡に営業所を出し1年間自分が単身赴任をして、データベースやHPを作る仕事を手がけるようになりました。

つぶすわけにはいかない

 いよいよ借入返済が厳しくなり、リスケ(リスケジュール)をします。

 銀行に呼び出しを受け、「社長だましたな!」と、先代と一緒に言われました。負債は6億円。売上の倍以上です。でもMBAを学んだのでつぶすわけにはいかないと、友人たちに恥を忍んでいろいろ教えてもらい資料を作って、当時の取引先12行にリスケ交渉にまわりました。

 さらに、大手建設コンサルタントの子会社社長をヘッドハンティングしました。その方が持ってきた、業界に合った人事給与制度を参考にしました。当時は退職金も含めて年功序列だったので、きちんと仕事ができる人に報いるような評価制度に変えました。今もその評価制度を続けています。

代表取締役の覚悟

 営業所もすべて廃止し、管理職の年収は1~2割ダウン。役員報酬は5割カット。すると先代は「65歳で引退すると決めていた」と言って引退。2008年、小林氏が代表取締役になりました。すると、ヘッドハンティングした方が辞めてしまいました。この時すでに官公庁売上が53%に減っていました。

 代表になり、いよいよ本気で経営の改善をしなければいけないと、ビルの売却を検討し不動産鑑定を頼むと、容積率オーバー、検査済証がない、旧耐震など簡単に売却できないことが判明しました。小林氏はビル経営を続けるしかないと覚悟を決めました。しかし内情は自転車操業。資金繰りは火の車。先代は銀行の交渉を含めて経営には一切口を出さなくなりました。

 静岡営業所から本社に連れて来た2人は今、小林氏の右腕になってくれています。自宅でもあった横浜営業所は資金繰りのために売却して、給与を何とか払い続けました。やっと減収増益になってきましたが、本業の売上が上がらず資金繰りに悩み、倒産した人の話を聞きに行ったり、踏み倒し屋と呼ばれる人と知り合ったりしました。必ずしも破産する必要はないのです。いろんな抜け道を探し悩んでいた時期でした。

 50周年を迎えた年、増収増益に転換。この頃、民間の売上のほうが多くなります。クリエイター向けのシェアアトリエやイベントスペースをオープンしました。新しいテナント関係の仕事は好調ですが、本業の設計のほうは新しい人がどんどん辞めていってしまう。なぜだろう。違和感を持っていたころ、東京同友会に出合います。

同友会で学ぶ

 入会後、新協建設工業の星野輝夫氏が「台東区長に政策提言をするよ」と声をかけてくれました。そこで、無電柱化の地上機器を使ったデジタルサイネージの提案を提言に盛り込みました。「これからオリンピックに向けても普及していくのかなと思います。これはビジネスモデル特許もシステム特許も取得しています」と小林氏。

 当時の佐々木喜興・台東支部長に人が辞めていくことの違和感を相談すると、共同求人と「経営指針成文化セミナー(以下、成文化セミナー)」を勧められました。共同求人に参加した昨年最後の合同説明会で、来場者14人くらいしかいなかった中の1人が入社してくれました。「学生を選ぶ前に選ばれる会社になりたい」。採用の重要性に気づきます。

 成文化セミナーではサポーターに、なぜ会社を経営しているかを問われました。「50年も続く会社をつぶしてはいけないとか、借金があるのでそれを返さなければいけないと答えると、借金返すために会社続けていくの?社員さんはそれで幸せなの?と。私はノックアウト!でした。この一撃で自分の未熟さを思い知りました」と小林氏は言います。

人を大事にする

 昨年末に経営理念と事業コンセプトを発表しました。未来都市ができ、世の中が変わっていく。建設の分野もロボットができてくるし、物流や防災管理のシステムも変わります。未来環境を創る仲間と、技術を未来につなげたい思い、学び合いともに成長する仲間。

 「先日、全社員と面談し新しい経営理念を聞くとだれも答えられませんでした。しかしそういう機会を通じて自分の思いを伝えられたのはよかったです。中期経営計画の目標をすでに達成し今期は賞与も出せました。『10年後には無借金経営したい』と社員には伝えています。中期経営目標は中堅リーダーの育成です。やはり幹部が育たないと難しいと思っています。あとは財務です。社員にはできるだけクリエイティブな仕事をしてもらいたいし、できるだけ地域の人の雇用を増やしていきたい。そして、会社が好きだ!と言ってもらいたいです」と小林氏は語ります。

会社概要

設 立:1964年
資本金:8,500万円
従業員数:25名
事業内容:地下構造物を中心とした土木・建築設計コンサルタント、インキュベーション施設、シェアアトリエの運営
所在地:東京都台東区下谷1丁目11番15号ソレイユ入谷
TEL:03-5827-3011
URL:http://www.metro-ec.co.jp/