【第33回】「洗うこと」極める努力を差別化に!拓く、アフターコロナの可能性 (株)齊藤クリーニング 代表取締役 齊藤 師義氏(京都)

(株)齊藤クリーニング 代表取締役 齊藤 師義氏(京都)

 日本三景のひとつ、特別名勝『天橋立(あまのはしだて)』を擁する京都府宮津市(人口約17,000名)。風光明媚な観光地であり、新型コロナ感染拡大前には、年間215万名の観光客を迎え入れていました。
 観光客が行き交う駅前から程ない路傍に、(株)齊藤クリーニング(齊藤師義代表取締役、京都同友会会員)は店舗を構えています。
 創業は1967年。先代が集団就職の“金の卵”として大阪に行き、約10年の修業を経て、地元に戻り独立しました。
 京都市内で学生生活を送っていた齊藤師義氏に、家業を継承する心づもりはなく、小学校教員になる希望を抱いていたとのこと。
 ところがアルバイトで始めたスイミングスクールのインストラクター経験から、生徒に頼られ、あてにされることの心地よさを味わいます。人に教えることよりも、人に頼られるような事業を行いたいと、「商売する」魂に火が付きました。

修業先で体験した“便利さ”の実態

 卒業後はそのまま修業生活に入りますが、そのお店は“朝預かり、夕方返す”を売りにする、業界で言う「クイック」のお店でした。
 約2年の修業を通じて体験した実態は、「汚れを落とす努力をし、お客さんに喜んでもらうことではなく、夕方に返すことを最大の目的とした“手抜き仕事”」と映ります。その当時のことを「努力の甲斐なく何の技術も身に付かず、アイロンがけもできない状態でした」と振り返ります。

安売り店との競争激化~模索の日々始まる

 先代の体調不良をきっかけに修業を終えて実家に戻りました。ちょうど時期を同じくして安売り店が近隣に出店し、売上げが3分の1に減少。
 この危機の状況を前に修業と模索の日々が始まります。30歳の転機でした。
 水洗いを学ぶ勉強会への10年にわたる参加と主催者への師事。一級染色補正師との出会いから、着物のシミ抜き技術を学び、染色補正技能士の資格を取得します。色を抜いて・色を足す技術の習得など技術力の絶え間ない更新と向上。
 また全国の同業者店を巡り、工場見学とともに経営者から経営姿勢を学び、最新技術の習得や業界動向を聞き出しました。特にクイックなど競合する形態で営業する繁盛店に出向き、反面教師として「顧客のためになるが、省略されている行程・サービス」をつぶさに観察することによって、自店の差別化に生かすなど、クリーニングの本質を問う努力を重ねてきました。
 その成果は、Yシャツボタンの無料交換です。一般クリーニングでは落ちないシミ・汚れを正直に伝え、それらを落とす、復元加工クリーニングの提案など、顧客目線に立ったさまざまなサービスが実を結び、口コミから新規顧客・リピート顧客を増やしてきました。

コロナ禍の影響と“メンテナンス業”への脱皮をめざす挑戦

 そこに新型コロナウイルスの感染拡大が襲います。主に3つのルートから影響を及ぼしました。第一に2月の冬場・平日の閑散期を埋め合わせていた、インバウンド客が皆無となり、ホテル・旅館からの発注が減少したこと。第二に地域イベントが中止になったこと。第三に女性がおしゃれ着で外出しなくなること。その結果、売上が約3割減少しました。
 この時期、改めて経営指針成文化講座(「人を生かす経営」実践塾)に参加します。約半年を費やして経営指針書を成文化し、コロナ危機を乗り越える活路をまとめました。
 ひとつは営業範囲を広げること。近隣から市全体へと面の展開をし、差別化を効かせる営業を展開しました。二つ目はお布団に特化したクリーニング。現在は年間1,000枚を扱っていますが、地域の家族構成から24万枚の潜在需要があることがわかり、シミ抜きしながら布団を洗う技術を生かして顧客を増やすこと。三つ目はそのためにも布団洗いに関連したECサイトを立ちあげることです。
 それらの取り組みが功を奏しつつあり、減少した売上の15%が戻りました。
 「わが社はメンテナンス業である」と自社の存在価値、めざすビジョンを高く掲げての挑戦は続きます。

会社概要

創業:1967年 
法人設立:2010年
資本金:200万円
従業員数:5名
年商:2000万円
事業内容:衣類、寝具を中心としたクリーニング業、その他シミ抜き、修理など
住所:京都府宮津市字江尻540番地6
電話番号:0772-27-0084  
URL:http://r.goope.jp/m3510929