【第35回】幸せと価値をカーネーションに 平田花園 代表者 平田 憲市郎氏(佐賀)

平田代表

平田花園 代表者 平田 憲市郎氏(佐賀県)

唐津の地とカーネーション

ハウス

 佐賀県北部に位置する唐津市(人口約12.5万人)は、東は背振山地、西は伊万里湾、南は杵島山地、北は玄界灘に面し、古くから第1~3次産業が活発に行われています。「唐津くんち」「呼子のイカ」など観光資源も豊富に有し、ハウスみかんは全国一、生花の生産量も高く知られています。さらに水力・火力・原子力と、北部九州の電力供給源でもあります。

 平田花園(平田憲市郎代表、佐賀同友会会員)は、1956年あたりから父がキクの栽培を始め、その後 カーネーションの栽培を始め、現在のカーネーションの専業に至っています。カーネーションは地中海沿岸が原産で、世界中で栽培され、国内ではキクやバラと並ぶ生産高であり、国内で最も消費量も伸びている品種です。さまざまな形、色などを含めると2,000種類を超すと言われています。ハウス栽培で1年を通して生産でき、最も需要が伸びるのは母の日の5月前後で、最も供給が上がります。

先々代、先代から受け継ぐ転換

拡張の様子

 平田氏は家業を継ぐべく、東京農業大学に入学し、卒業論文においてもカーネーションの新しい栽培技術を2年間研究しました。卒業後約1年間、週の半分は札幌の花市場で市場や業界を学び、残り半分は高級ホテルでブライダルや生花などの装飾を学び、故郷へ戻ってきました。学問的な知識や技術、実社会での体験でスタートする予定でしたが、後述する「家業」ではなく「自社」を考える事になる大きな事態もこの期間に経験する事になったのです。

 初代の祖父が佐賀県で最も早くキクの栽培を始めました。とは言っても、露地物のキクではなく、竹の骨組みに障子紙を張り、油を塗って現在のビニールハウスのようにした手作りの栽培方法でした。この技術で年を通じてキクの栽培を可能にしました。祖父は「時間」で市場を制した先駆者でした。

 その後、高度成長期を迎え、生活様式が洋風に変わるに連れ、キクの花の消費量も下がってきました。そこで二代目である父は、主たる生産種目をカーネーションに代え、大規模ハウス栽培に転換しました。また、これまでの地元、近県出荷から、北海道(札幌)・沖縄の市場と南北両極に特化した出荷へと転換しました。そこで初代との葛藤や確執が生まれましたが、高水準の港湾を持つ地の利を生かして、他にはない高い利益を得ることができました。二代目の父は「場所・距離」で市場を制した先駆者となりました。さらに、栽培面積も1520坪と増資し、近代化したハウス栽培の農場となってきました。

 三代目の平田氏は、堅気で職人気質な祖父と、父の蓄積と自身が考える「価値」融合を考えていました。大学を卒業し、札幌での修行の間にそのことをテーマにして日々学んでいました。ある日、修行先に出勤すると、会社の倒産を告げる張り紙は張ってありました。昨日まで通常業務であったはずなのに。取引先の大半は既に状況を知っており、少しずつ撤退と回収を行っていたようでした。平田花園との取引も多くあり、納入金額も他より好条件であったために、支払いが遅れていることに関して緩くしていたことがわかりました。結果、平田氏がお世話になっている修行先から回収をしなくてはならない事態となりました。

 「農家(生産者)は出荷金額や相場を重要視しますが、販売価格や製品の行先、お客様、得意先の情報などを収集できないことを実体験することになりました」と平田氏。この機会が平田氏を近代的な「農場経営」と導くこととなりました。

農場経営と「情報」

チラシ

 故郷に帰り、新たな「転換」を行うことになりました。まず着手した転換は、品質でした。先代もあまり良い顔をしなかったのですが、カーネーションの品種や品質をハウスの一室部屋にこもって研究しました。そしてさまざまな色、形の品種の栽培、種苗4大メーカーとも技術面での共同開発ができる「商品力」という実力をつけていきます。

 インターネットが普及し、だれでもどこにでも、仕入・購入が可能になりました。先代が開拓した販路も通用しない流通形態が生まれてきました。「地元で特化した商品と合わせて、全国でも現代の流通を生かして全国の人にも幸せを届けたい!」。平田氏は人生を飾れる時間、場所も徹底的に研究し、半人前という声の中、縁あって福岡市の三越デパートでの母の日の特設コーナーに出店することになりました。そこで、生産者の似顔絵を展示し、「花は人生の演出家 、生活を花やかにしてくれます。花のそばには必ず笑顔があります。感謝の花・カーネーションをもっと楽しんでみてはいかがでしょうか?」と花に対する思いをお客様に伝えました。予想以上の大反響で「販売・告知力」の実力もつけ、大手テレビショッピングでも平田花園の花が告知されるようになり、祖父・父の代の転換と合わせて「商品の品質・顧客・価格決定権」の3つの転換を行いました。

パートナーとともに価値を高め、経営の品質を上げる

夫人とともに

 平田氏は、佐賀同友会に入会し、経営指針書作成に取り組みました。先の自身が行った転換もこれまで頭にあったものでしたが、経営指針書で成文化したことでより明らかになりました。さらに自社に夫人を迎えたことで、夢を見て追い続ける自分と、現実を見ることができる夫人との二人三脚で物事を進めることができるようになりました。「何事かあるときには必ず奥さんに相談し、24時間チェックをもらうことのできるパートナーを迎えたことで、今の自分がある」と平田氏は言います。そんな夫人と指針書作成セミナーに参加したことで、より内容の深い経営指針書の作成、そして更新を行うことができました。

 「これまでの思いにさらに自信が持て、進む道が明確にわかるようになり、さらにお客様や取引先からの質問により具体的に返答ができるという良い結果も生まれました。価値を高めるために、良い製品を作り販売するだけでなく、販売力、資金力、提案力、それに見合った自社の力と目指す方向と理念による判断基準が明確になりました」と平田氏。

 また、カーネーションの価値を伝え、価値をつないでくれるパートナーである、パートさんを含む社員全員の幸せを作ることも、自社・自身のミッションとして最優先事項となりました。日常の業では得られない情報やカーネーションの専門知識を盛り込んだ『月刊 平田花園』発行し、社内報として社員に発信しています。これによって専門知識と、単純作業では得られないカーネーションの魅力を伝え、社員が自社商品をわが子のように育て、愛する気持ち芽生えるとともに、業務の標準化も図ることができるようになりました。

新しい農業経営を目指して

カーネーション栽培

 経営指針書作成の際に、経営に関わるものを数値化しました。祖父や父が行った戦略・技術・品質・流通・距離・時間…内外環境の5W2H全てを数値化することで見えてきたものが多くありました。薬剤処理に頼らず、冷蔵保存なしで咲き続ける品質、カクテルドレスでも似合う小悪魔的な黒のカーネーション「プレミオ・ブラック(黒い花は他種にはありません)」、2020年東京オリンピックに飾られるであろう、「五輪色のカーネーション」と、さまざまな試みが計画通りに進んでいます。

 給与水準が高く、休みのある農業。他県民が「佐賀県民になりたい!」という企業経営を唐津の地から、全国に発信していきます。

経営理念

私たちはカーネーションの生産を通じて
地域社会の花のあるくらしに貢献するとともに
皆様への感謝の気持ちをカタチにします。

会社概要

設 立:1956年
事業内容:カーネーション専業生産
従業員数:社員5名・パート4名
所在地:佐賀県唐津市和多田本村8-51
TEL・FAX:0955-72-8639
URL:http://hiratakaen.com/