【第4回】地域のインフラを担う中小企業へ (有)鉱脈社 代表取締役 川口 敦己氏(宮崎)

川口敦己社長

(有)鉱脈社 代表取締役 川口 敦己氏(宮崎)

 現在の宮崎同友会においてバイブル的な存在となりつつある「宮崎同友会Vision 30th – 豊かな未来をひらく 中小企業は地域のインフラ」。2018年宮崎で行われた「第6回人を生かす経営全国交流会」で全国の会員へも発信し、多くの共感を集めている。中小企業は「地域のインフラ」であることの提言。そして「地域のインフラ」としての企業のありようを、経営者と企業の成長の過程を描きながら指し示したことが、この共感の広がりを生み出したと考えられる。

 2018年の発刊から遡ること3年前の2015年に「ビジョンづくりプロジェクト委員会」が立ち上がった。このプロジェクトの発起人が、今回紹介する川口敦己氏((有)鉱脈社代表取締役・宮崎同友会相談役)だ。川口氏は、昨年8月に開催された宮崎北・宮崎南支部8月合同例会の経営体験報告において「私の経営者としての姿勢こそが『鉱脈社の失われた20年』の元凶だった」と語っている。2013年に経営の立て直しを決意すると共に、その自問のなかで「我が社の失われた20年は、地域(宮崎)の、そして宮崎同友会の停滞の軌跡とも重なるのではないか。」ということに気づく。「本気でやりなおそう」と思った川口氏は、自社の経営の立て直しと完全にリンクさせる形で宮崎同友会の立て直しも考えた。これが「ビジョンづくりプロジェクト委員会」の発足、そして2018年の「Vision 30th」の発刊につながっていったのだった。

経営者ではなかった

(有)鉱脈社は、タウン情報誌の発行元として宮崎県内では絶大な認知度を誇り、歴史や地域経済等から小説や写真集まで、まさに宮崎を表現する出版社としての地位を確立している。代表取締役の川口敦己氏は、宮崎県中小企業家同友会(以下、宮崎同友会)の創設メンバーであり、初代代表理事として同友会を力強くけん引してきた。

 鉱脈社は1972年、川口氏が28歳の時に創業している。会社を立ち上げて18年を過ぎた1990年に川口氏は、同友会に出合う。その当時のことを聞くと「大枠で言うと経営者ではなかった」という意外な答えが返ってきた。新聞記者として宮崎に赴任していた川口氏は、印刷と出版を行う鉱脈社を設立。各団体組織の会報・ポスター・チラシ等の一般印刷から、それまで東京に依頼されていた地元の作家の出版も手がけていくようになる。社員も増え、売上は伸び、黒字だったため決算書を見る必要もなかった。川口氏も好きなことをして会社が成り立っていたため、そのような状態を「経営者ではなかった」と語ったのだ。

 順調に会社が成長する中、1987年に「月刊情報誌タウンみやざき」を創刊する。それまで経験のない広告の営業、未収金の発生などにも戸惑ったが、部数は急速に伸びていった。一方で、社員は夜遅くまで作業に追われるようになり、社員の入退社の激しい会社になっていった。経営課題に初めて直面したのだった。

同友会との出合い

 1990年12月、鹿児島で九州の経営者を対象にした経営フォーラムが開催されることになり、知人に誘われて参加したのが同友会との出合いだった。翌年1月には、中同協の国吉昌晴事務局長(当時)の支援もあり、宮崎に同友会をつくろうという動きが生まれ、川口氏も誘われるままに、設立準備会メンバーに加わった。川口氏に転機が訪れたのが、その年の9月に大分で行われた青年経営者全国交流会でのグループ討論だった。ほとんど同友会を理解していない川口氏の話をじっくり聞いてくれて、理解を示してくれたことに感動した川口氏は、その気持ちをレポートに綴り、中同協の国吉氏に送った。するとそれが「中小企業しんぶん」に掲載され、全国の会員に紹介されることに。この一連の出来事に「この会は何か違う」とさらに感動した。それからは設立総会に向け、「やるぞ」という強い意志を持ち、自ら先頭を切るようになった。

 有志5人で動き出した宮崎同友会は、1992年2月22日、123名の会員で設立総会を迎えた。総会記念講演は、当時中同協幹事長の赤石義博氏にお話しいただき、期待と不安が交錯する宮崎同友会の方向性を指し示していただいた。のちに中同協の会長、相談役、顧問を歴任する赤石氏との出会いもこの時だった。

活動から運動へ

 今期の宮崎同友会の活動方針の中には、「活動から運動へ」という言葉がある。川口氏が「活動から運動へ」と変わったのはどのようなタイミングなのだろうか。

 「僕は最初から同友会の自主、民主、連帯に惚れ込んだんだよ」そう切り出した川口氏は、そのベースに市民社会論があると説明した。「市民社会が健全につくられなければいけないという考えが根底にあり、同友会の自主、民主、連帯の精神は、まさに市民社会の基本。経営者感覚というよりは、僕はそっちから入ったんだ」と教えてくれた。つまり、経営課題や経営者としての自身の成長という目的ではなく、自身の思想が、同友会の理念に合致したことが起点となったわけだ。川口氏が静岡県の漁師町から宮崎に来たのが1968年。高度経済成長期の終盤、集団就職により地方は過疎化が急速に進んだ時代だった。1944年生まれの川口氏は、農村や漁村が崩壊していくその時代への問題意識を強く持つようになった。生まれ育った静岡が高齢化して衰退が進む様子を目の当たりにして、今でも責任を感じるという。川口氏の兄は、田舎に残り地域づくりの活動に取り組んだが、道半ばで亡くなった。自分はその田舎を飛び出してしまったことへの責任を感じると共に、日本の地方を支えるために「中小企業がもっとしっかりしていれば」という思いが強くなったと言う。

赤石義博氏との出会い

 赤石義博氏の著書の多くが、鉱脈社から発刊されている。きっかけは、1994年に発刊された『変革の時代と人間尊重の経営 「21世紀型企業」その理念と展望』だったという。中同協相談役の田山謙堂氏、中同協会長の田村壽雄氏、中同協事務局長の国吉昌晴氏、そして中同協幹事長の赤石氏(いずれも当時の役職)という錚々たるメンバーをそれぞれ宮崎同友会の例会や講座の講師として呼び、その内容をまとめたものに、中同協副会長(当時)の故山田昭男氏(未来工業)の話も加え、一冊の本にした。「宮崎同友会編」として発刊された同書は全国の同友会会員に読まれ、高い評価を得ることになった。これを機に、川口氏から赤石氏に書籍としてまとめることを提案し、以降の著書へと続くことになった。赤石氏の最初の著書「人間尊重の経営」の副題「中小企業が切りひらく健全な市民社会への展望」に、川口氏の思想が色濃く出ていることは言うまでもない。

 「市民社会が健全につくられなければいけない」という考えが根底にある川口氏は、社会が成り立つために大切なものが「教育」であると考えていた。もう一つ大切なもの、それが「中小企業」であるということを、赤石氏に学んだと川口氏は語る。「このままでは地域は崩壊する。大企業にはできないことであり、中小企業が元気にならなくてはならない」と。聞けば聞くほど、自社の経営課題というよりは、自身の思想や社会への問題意識が、同友会運動への源泉になったように思える。そのことを川口氏に確認すると、「いや、会社の経営をなんとかしたいという思いもあるよ。そこが赤石さんに学ぶべきこととして弱かった部分もあるんだよね」と顔をしかめた。

生産条件と生存条件

 「最初は社会をどうするかという視点で同友会に入ったのに、会社が苦しくなれば平気で生産条件に入ってた」と、川口氏は少し悔やむような口調で話を続ける。「生産条件」とは、簡単に説明すると「儲かったら社員の待遇を良くする/会社に利益が出たら社員は幸せになる」という考えのことを指し、一方で「生存条件」とは「社員の待遇を改善し、労使の信頼関係をつくることで会社は生存できる/社員の幸せを第一に考えることで結果として会社は成長する」という考え方だ。生産条件ではなく、生存条件の追求こそが、真の人間尊重経営の基盤である。鉱脈社は2004年頃、インターネットの本格的な普及と共に業績が悪化。適切な手を打つことができず、この時は「仕方がない」と考えていたそうだ。それが、先に述べた「私自身の経営者としての姿勢こそが『鉱脈社の失われた20年』の元凶だった」という言葉につながる。

 宮崎同友会の相談役として常に同友会のことばかりを考えているのではないかという印象をずっと持っていたが、川口氏は、同友会の設立から今に至るまで、いやむしろ今こそ、自社の経営に向き合い、それを同友会運動へと完全に融合させている。

場づくり

 同友会づくりにおいて、川口氏の問題意識とこれから取り組むべきことは何であるかについて聞いてみた。川口氏がここ2~3年考えているのは「場づくり」ができない同友会になっていないかということ。「同友会はあらゆる場を学びに変える組織であり、それこそが他団体にはなかなか見られない魅力でもある。例会づくりについては、報告者や座長を務めることが、参加するだけ以上の学びに繋がるということを体験する。しかし、幹事会や理事会といった「場」については、その考えがどれほど生かされているだろうか。役員会が単なる決議の場になっていないか。」と。川口氏の言葉を借りると、「支え、促す活動こそが宮崎同友会の本質」であり、役員会は単なる決議の場ではなく、議論を通して学び、成長しあえる場であることが同友会として必要であり、その「場づくり」ができる会員が育つことが会の成長にも不可欠である。また、これは自社の経営においても全く同様であり、社員がいきいきと一つひとつの場から学びあえる環境づくりが、経営者としての責任であるといえよう。

宮崎同友会の展望

 最後に、これからの宮崎同友会について語ってもらった。「まずは経営者団体として、しっかり意見が言える力量を持たないといけない」と川口氏は語気を強める。直視せざるを得ない宮崎同友会の最大の課題である会員増強。低迷が10年続いているという厳しい現実がある。「同友会で絶対に学ぶべき経営者は宮崎にまだいる。その経営者が学べる同友会にしていかなければならない」。そう述べた川口氏に、私は「していこうとは言わないんですね」と答えた。それが今の川口氏の同友会に向き合う姿勢であり、私たちそれぞれに自問を促しているのだと解釈した。

(TNAソリューションデザイン(株) 竹原英男)

会社概要

創 業:1972年
設 立:1973年
従業員数:34名
所在地:宮崎県宮崎市田代町263番地
URL:http://komyakusha.jp/