(株)山岸製作所 社長 山岸 良一氏(群馬)
(株)山岸製作所(山岸良一社長、群馬同友会会員)は榛名山の麓、群馬県高崎市でニードルベアリング保持機、半導体製造装置部品、ハイブリッドモーター部品などの精密加工を営む会社です。厚さ0.5ミリのリングをパイプから削り出し真円度20ミクロン以下に仕上げるなど薄肉・真円加工の高い技術を保持しており「ぐんまの一社一技術選定企業」にも選ばれています。両親と3人で始めた会社は、自動車部品の量産対応に加え、試作開発や量産前の立ち上げ、小ロット対応で事業を拡大してきた結果、2012年3月では社員は90名に達しています。1998年から毎年の新卒採用を続け、近年では毎年4~5五名の新卒採用を行っていますが「この5年では一人も退職していない」(山岸氏)状況です。2012年3月には第2回「日本でいちばん大切にしたい会社」審査委員会特別賞に選ばれました。しかし今日に至るまでの道は平たんではありませんでした。
家族三人からのスタート
山岸氏は23歳のとき、両親が経営する会社に入社しました。同社の高い旋盤加工技術のおかげで仕事は増えていくものの、労働力の確保に苦労しました。入社してくるのは勤務日の半分くらい休む近所の主婦、履歴書に書ききれないくらいの転職歴のある人、「近所の葬式なので2、3日休む」と言いながら地元の祭りでねじり鉢巻きでみこしをかついでいる社員でした。それでも山岸氏の両親はその人たちに長く勤めてもらいたいと願って苦労を引き受けてきました。
1995年から山岸氏が社長になり、ワンマン経営で突進しますが社員の反応は冷めていました。「ろくな社員がいない」と嘆き、あせってさまざまなセミナーや研修会に参加して勉強しましたがさらに社員との距離は遠くなるという悪循環でした。1997年に群馬同友会に志願して入会、経営指針づくりの研修会に参加する中で社員教育や採用の考え方を学びました。「“ろくな社員がいない”と言えば言うほど、自分に能力がなく社員を育てられていないことに気づいた」と言います。以来、経営指針にもとづく全社一丸経営をめざして取り組んできました。
新卒社員を採用したい
1998年、中途採用ではなく新卒を採用しようと決めて地元の高校に働きかけましたが、「生徒からの希望がない」ととりつく島がありません。山岸氏の母校の恩師に「勉強できなくてもいい、卒業できなくてもいい」と頼み込んで紹介してもらった生徒が、新卒採用第1号になりました。ところがこの社員、製品検査の椅子に座って5分もしないうちに寝てしまう、そこで立ち作業のラインにつかせて様子を見ると立ったまま素材を握って寝ている、自動機械ではダメだということで汎用機械の作業をやらせると機械に身体を半分入れたまま眠ってしまうのでした。それでも新卒社員を育てたいという山岸氏の思いは強く、ねばりづよく社員に寄り添ってきました。新卒第1号の社員は現在32才、課長代理となって後輩のOJT指導や、試作部門、生産管理などを担当する若手リーダーとして活躍しています。続いて採用した新卒社員たちも、目を合わせて話をすることができなかったり、機嫌が悪いと相手が社長であろうとあいさつも返事もしなかったりといった調子でしたが、その多くが現在では社内のリーダーとして活躍しています。
若手社員の退職を教訓に
2000年台に入りさらに事業拡大を進め2006年頃には社員数が60名を超える中で、中間リーダーの育成が課題になりました。会社を五部門に分けてリーダーを配置しましたが、リーダーに選ばれた社員たちは部下を指導した経験がなく見本となる先導者もいません。一方で「俺だったらできるのに、どうしてできないんだ」という山岸氏からの過度な期待。リーダーたちと他の社員の間に溝ができて関係が悪化し、若手社員の退職が続いたことからリーダーたちは精神的に追い込まれていきました。「これではまずい」と山岸氏がリーダーたちと面接すると、ほとんどが涙をこぼして「つらい」と打ち明けました。「リーダーの地位につければリーダーになると思っていたのが誤りだった」と省みた山岸氏、どうすればリーダーが部下と心を通わせることができるのかと模索しました。
社員の声に耳を傾けて
とにかく話をよく聞こうと、リーダーたちと一緒に部下の話を聞く訓練を重ねた結果、自分の意見を強く言って部下を従わせるのがリーダーではない、相手が何を求めているのかじっくり聞いて共感することが大事だという境地に達しました。山岸氏とリーダーたちが社員の声に耳を傾けるようになってから会社内での会話が増え、会社の雰囲気が徐々に明るくなっていきました。さらに若手社員が続けて退職した痛苦の教訓を生かそうと考えました。「単純な作業を毎日やり続けると思うと不安」、「数年後の自分がイメージできない」と言い残して辞めていった若手社員。「もうだれも辞めさせたくない」と全社的に各部門の仕事を洗い出して職務明細一覧表をつくり、さらに山岸製作所で働き続けることで蓄積されていく技術キャリアを明確にした教育訓練計画を作成しました。これは2009年から開始した同社独自の技能教育活動である「テクニカルマイスター制度」につながりました。
リーマン・ショックを機に技能教育に集中
しかしちょうどそのとき、2008年秋からのリーマン・ショックは自動車部品を売上の柱としていた同社を直撃しました。2009年2月には売上が前年の20%まで激減。山岸氏は一人もリストラしないことを宣言して、雇用調整助成金を申請、徹底した経費節減を全社に呼びかけました。この時期に普段できないことをしようと決め、テクニカルマイスター制度にもとづく技術訓練に集中したほか、社員全員から何を勉強したいか、何を勉強する必要があるか部門ごとにアンケートをとり、パソコン教室、管理・監督者研修、技能検定資格取得研修、CAD/CAM研修などを実施しました。これにより現場従業員の多能工化が進んだほか、パート社員が三次元測定機を扱えるようになり、事務員がCADに搭載された見積ソフトを扱えるようになるなど分業体制の効率化にもつながりました。
自社独自の職業訓練校を開校
全社一丸となった経費節減と営業攻勢でリーマン・ショックを乗り越え、2010年5月に群馬県認定の職業訓練校「ヤマギシテクニカルセンター」を開校しました。入校するのはその年の新入社員が中心です。4月から9月末まで1日あたり2~3時間の研修を週2~3回受ける約130時間のカリキュラムで、旋盤技術やマシニングセンターの知識や実習、加工の原理や図面の見方などを学びます。山岸氏が作成した教科書を用いて、山岸氏や専務らが中心となって講義します。職業訓練校は地方自治体や大手企業が設置することが多く、中小企業が独自に設置するのは全国でも非常にめずらしい事例です。新入社員たちからの評判は上々です。同期社員と机を並べて学び、一緒に食事をして生活することで安心感が生まれ、研修内容についていけなくなりそうな社員を他のメンバーが支援するという連帯感につながっています。機械加工の基礎知識が身に着くことで工場でのOJTがスムーズになり、先輩社員とのコミュニケーションを深めることにもつながりました。
ヤマギシテクニカルセンターの修了生をふくめ、近年では新入社員の退職者は出ていません。採用面でも会社説明会に約六十人以上が参加し、ヤマギシテクニカルセンターの存在を志望理由とする学生が出てくるなど、若者にとって魅力あるものとなっています。同社の人を大切にする社風、人間性を信頼し尊重する社風は、若者の願いや不安に応えた学びの組織化という具体的な形となって実を結んでいます。
(中小企業家しんぶん2012年3月25日号「若者が育つ企業づくり(1)」より転載)
会社概要
設 立:1962年
資本金:3,000万円
事業内容:金属加工業、精密機械加工業、CNC・旋盤・ マシニングセンター複合加工機を用いての金属機械加工業
従業員数:90名(うちパート社員30名)
所在地:群馬県高崎市浜川町(浜川工業団地内)
URL:http://yamagishi-ss.com/