【第18回】「お客様と社員がしあわせになること」だけを考えて 住工房森の音(有)美建工業 代表取締役 櫻田 文昭氏(岩手)

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住工房森の音(有)美建工業 代表取締役 櫻田 文昭氏(岩手)

先代の創業の思い~雇用を守る覚悟

 住工房森の音(有)美建工業 代表取締役 櫻田文昭氏は、2002年、(有)美建工業の事務所の2階に美建設計事務所を設立しました。その美建工業は文昭氏の父親が1986年に創業し、雫石に根付き地域にあてにされ、地元工務店としての事業を続けてきました。

 岩手山のふもと、冬は寒風吹きすさぶ雫石の気候は、建築には厳しい環境でしたが、先代社長は創業時から大工さんを仕事が極端に少なくなる冬場も含め、年間を通じて雇用し続けてきました。そうした社員を大切に思い、社員と共に理念を共有し、会社としてお客様の声にこたえていく姿勢は今も社風として継承されています。そうした雇用形態は当時は業界では大変珍しいことでした。

山と川が遊び場であった子どもの頃~都市と山間の狭間で

 一方、文昭氏は北海道へ渡り建築の基礎を学び、東京のゼネコンへ入社。大型施設・マンションの現場管理などを行ってきました。その後都内の設計事務所、都市計画事務所を経て、雫石へ帰ってきました。

 設計事務所を設立した当時の文昭氏は設計をするのが大好きで、建築家としての未来を描き、周りの期待に反して「後継する」という思いはまだありませんでした。むしろそうした用意されたレールに反発する思いのほうが強い時期でもありました。しかし突然の不慮の事故で父親が帰らぬ人となり、文昭氏が美建工業を急遽引き継ぐことになりました。

 岩手同友会に入会したのは、それから間もなくのことです。そして33歳で、第二期経営指針を創る会を受講することになります。文昭氏には、ずっと思い描いていた未来図がありました。生まれも育ちも岩手県雫石町。子どもの頃から山と川が遊び場で、岩手山の眼下に広がる畑や水田を縦横無尽に走りまわりながら、この町で暮らしてきました。

 反面若い修行時代に経験したのは、首都東京の大都市を図面一つで動かすことができる醍醐味。設計士、建築家としての自身の姿を仕事に投影することは、当然のことでした。

長かった挑戦の日々~重ね続けることの大切さ

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 都市部と山間のスケール、建築物の持つ役割の違い、そして創業者と後継者という大きな意識の違いに葛藤しながらも経営指針を成文化し、それから12年間、協力業者の方々、金融機関を招いての経営指針発表会を継続してきました。更に、経営指針で掲げた社員の採用と育成計画をもとに、毎年共同求人に参加し、継続して新卒者の採用を続けてきました。

 櫻田氏は話します。「指針を成文化した直後から発表を続けてきたので、社員には会社が何を目ざしているかが伝わっている。反対にリーマンショックの時のように、経営に大きな打撃あった時には、金融機関や協力業者からも叱咤激励を受けることもあった。逆に状況が良く受注に現場が追いつかないときには、協力業者さんが意図を汲んで工期を間に合わせてくれたりと、どんな環境でもやり続けることの大切さを実感している」。

 また同友会での社員教育の他社の実践例に倣い、社員一人ひとりに人生設計書を書いてもらい、経営指針にも一緒に綴じて全社で共有してきました。丁寧に個人面談も続け、業務を細分化し、一つの現場をチームで動くことで入社してすぐにでも仕事ができるように仕組みを作ってきました。

 しかしながら、「ぜひ森の音に」と希望して入社してきた新卒の大学生や専門学校生が採用しても3年続かない、という時期が続きました。

社員との真剣な話し合いが生んだ未来展望

 そんな折、施工した同友会のメンバーから、耳打ちされます。「うちに来る櫻田さんのところの社員の様子が気になるんだけど」。客の視点に立っていない、との指摘でした。経営指針も10年来取り組み発表している。共同求人で採用もしているし、社員教育だって力を入れている。そんなはずは。というのが初めの思いでした。「今考えると、皆が言ってくれたりサインを出してくれていたのに、聞こえなかった、いや聞きたくなかったのかもしれない」櫻田氏は当時を振り返ります。

 大きな転機は櫻田氏の体調が急変し、日常業務に指示が出せなくなった時のことでした。

 今ではまったく体に不調はありませんが、文昭氏が設計から完工までの全てを把握し、細部にまで社長の目があった当時のことです。現場に大きな遅れが生じる事態となりました。

 「根本から考え方を変える」ギリギリの環境に立って初めてその決意は固まりました。
 それまで経営指針には、エコビレッジ構想や、地域や地元の山や川への配慮、そして地球環境の未来を展望する内容が掲げられ、それが大きな柱を占めていました。勿論大切な考え方ですが、「今大切なのは違うのではないか。お客様と社員がしあわせになることだけを考えて、社員と真剣に話し合うべきではないか。」そう考え、文昭氏は専務である奥様に相談しました。そうなれば、専務も本音で、自分の考えをぶつけてくれます。同様に社員からも、本音の意見も、厳しい声も幾重にも重なって出てきました。

「お客様と社員がしあわせになる」ために

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 現在、以前に建てていた軒数の倍近くの現場が動いています。「お客様と社員がしあわせになる」この言葉が、これまで苦労して続け積み上げ創り上げてきた経営指針の取り組みを形にしました。

 社員がお客様と直接つながり、細やかに声を聞くことで、わかったことが、あります。若い社員一人ひとりが、自分が責任を持ってやり切る、そんな雰囲気が社内に生まれてきました。やりがいを実感しながら動く姿が、生き生きとしています。

 「入口を示して出口でニコニコ待つ」という意味がようやくわかった気がする。文昭氏は話します。
 地域の木材を社員、職人とお客様と一緒につくる、地域風土型住宅。その原点は文昭氏の父親である先代の社長が生前、新聞に投稿し掲載された文章の中にすでにありました。

 それは文昭氏へのメッセージにも聞こえます。

 (有)美建工業の理念は、何年もの苦しみを経て、継承されました。自ら気づくことの難しさと、喜びを今、感じています。

経営理念

一、私達は、きらりと光る未来の暮らしを開発し、先導者として創造的価値を提供します。(科学性)
一、私達は、モノづくりを通じ連携し合い豊かな地域を目指します。(社会性)
一、私達は、お互いの可能性を高め合うパートナーとなり、共に成長します。(人間性)

会社概要

設 立:1986年10月24日
資本金:300万円
従業員数:8名(2018年1月現在)
事業内容:建築一式、リフォームなど
所在地:岩手県岩手郡雫石町七ツ森182-6
URL:http://www.morinone.co.jp