【第2回】客層を絞りこんで強くなる (有)ひろせ本店 代表取締役 広瀬吉弘氏(宮崎)

広瀬社長

(有)ひろせ本店 代表取締役 広瀬吉弘氏(宮崎)

モータリゼーションへ対応

 ひろせ本店(広瀬吉弘社長、宮崎同友会会員)は、現社長の父が、1964年に三股(みまた)駅前の商店街の一角に衣料品販売の店として創業しました。当時は人通りも多く、駅前商店街にも賑わいがありました。店舗販売に加え、車での移動販売や農協共済入会者への贈答用布団の販売を行い、売上を伸ばしてきました。

 1974年、近所に移転・新築して売り場面積を拡大、10台分の駐車場も備えました。このころからモータリゼーションが進行し、人の流れが変化し始めます。さらに地方中核都市へ進出を開始した大手スーパーがその前年に都城(みやこのじょう)店をオープンし、これを機に三股商店街は衰退しはじめていました。このような状況のなかで、都城市と三股町を繋ぐ道路が今後栄えていくことを見越しての移転でした。1978年、商業複合施設が高城町にオープンし、2号店としてテナント出店しました。いずれも車社会の到来による人の流れの変化への対応で、こうした出店により同社は売上を伸ばしていきます。

大手資本への対抗

店舗の様子

 都城市に他の県外資本も進出し始め、客の流れは都城へと集中していきます。広瀬氏は、この流れを地場企業として食い止めたい。三股町に人が集まる場所をつくりたいと考えていました。

 1980年代に入ると、衣料品業界では台湾や韓国等の安い輸入品が増加し、販売力を持つ大手は低価格商品を扱い始めました。それに対抗する狙いもあり、1986年、地場の食品スーパーや飲食店、本屋を募り、自分たちで商業複合施設をつくり、現在地に450坪の店舗を開店。店舗販売はここに集約しました。売り場面積が大きくなったことで大量仕入れが可能になり、価格帯を下げることができるようになりました。初日の盛況ぶりは問屋を通じて福岡や大阪にまで伝わり、このことで問屋との取引の幅が広がり、大手に対抗する基盤を築きました。

低価格化への対応①-効率的な店舗づくり

 1990年代にはいると中国産の商品が大量輸入されるようになり、低価格化はさらに進みます。広瀬氏の同友会入会もこのころ。客単価が下がることで売上は減少。一方で、ユニクロのような低価格でカラーバリエーションが充実した商品も登場し、2000年代からはそうした県外資本の衣料品店が都城商圏にも進出してきました。2000年に社長に就任した広瀬氏は、そのような厳しい経営環境のなか、同友会で学びながらさまざまなことに取り組みました。

 2002年、先の高城町の商業複合施設に再出店します。売り場面積90坪、店長を含め社員は3人。人件費を圧縮した経営で利益の確保を重視しました。仕事のやり方を整理することで、少数精鋭でやれる運営に確信を持ちました。

低価格化への対応②-顧客層の特化

 2008年12月、都城駅前に大手ショッピングセンターがオープンしました。商圏人口20万人の地域に2カ所の進出です。影響を恐れていましたが、売上減少は1割未満でした。本店ではひきつづき厳しい状況がつづいていましたが、従来の顧客の来店は多かったのです。

 ある日、目の不自由な方がお店に見え、一人の社員がその方の買い物が終わるまでずっと付き添っている様子が目にとまりました。長く勤めてくれている社員が多く、お客さんも近隣の方が多いので関係ができています。「お客様はほとんど高齢者の方ですから、わかりあった中で安心して買い物ができるという強みを我が社はもっていたんだと気がつきました。高城のテナントでは、一人の女性社員に任せていますが、70代のお客さまが自分の娘のようにかわいがってくださって、野菜や米を持ってきてくれたりする中で売上をつくっています」と広瀬氏。こういった気づきから、本店では60歳代から80歳代の顧客層に特化していきました。

 2009年10月、高城店がテナント移動により売り場面積が30坪に縮小となりました。売り場面積が小さくなったことで、婦人服のシルバーゾーンを残し、紳士・子ども服をはずという、絞り込みを行いました。「はじめは30坪でやっていけるのか不安だったが、売上は変わらなかった」と、広瀬氏は自社の強みに確信を持ちました。  

自社の顧客層を認識する

店舗の様子2

 同じころ、地元でスーパーを経営している同友会の仲間から財部町のスーパーで店頭販売しませんか、と話がありました。「初めての土地なので、あまり期待していなかったのですが、お客さんが『せっかく売りに来てくれたから』と買ってくださる。何回か出したら『次はいつね(いつくるの)』といって友達を連れてきてくださる。それならと、そのスーパーの隣のテナントに出店しました」。財部町は人口1万2000人ほどの町です。
 
 「『衣料品のお店ができて助かった』と大勢のお客さんが来てくださる。車で7~8分も行けば都城市で大型店もあるのですが、高齢になるとその7~8分が大変なのだということに気づきました」と語る広瀬氏からは、地方で競争に巻き込まれない商売をしていく方向を見つけたという手応えが伝わってきます。

 現在同社では、地域の世代別住民構成を分析して顧客層を絞り、社員一丸でその対応に取り組んでいます。衣類品の平均価格は1000円~3000円の商品を提供していく。低価格の商品だけでは満足の幅が広がらないので、1万円~10万円までの高価格商品もおく。この戦略のもと、同社では社員全員が自社の顧客層を再認識し、一対一の接客を心がけ、それぞれのお客様に合う提案をしています。

「大きな売上は望めなくても、1店1~2人の社員で運営しながら年間100万円ほどの経常利益を出していく。そういう店づくりをしていきたい」と広瀬氏。地道な取り組みが同社の新たな展望を切りひらいています。           

会社概要

設 立:1964年9月
事業内容:衣料品小売業(3店舗)
従業員数:19名
本店所在地:宮崎県北諸県郡三股町稗田55-5
TEL:0986-52-5005