【第29回】学びの習慣化で経営姿勢を確立 (株)竹中印刷工芸 代表取締役 井口 誠宏氏(佐賀)

(株)竹中印刷工芸 代表取締役 井口 誠宏氏(佐賀)

 佐賀市諸富町は家具製造が盛んで、筑後川を挟んで家具の生産地、福岡県大川市を隣に位置した街です。ベビーブーム世代の婚礼が急激に増えていた1979年に(株)竹中印刷工芸(井口誠宏代表取締役、佐賀同友会会員)は創業しました。当時、大川家具や諸富家具など1000社もの家具関連企業が揃う地域であり、市場規模は1000億円を超え隆盛を極めていました。当時、同社では家具製品への加飾や加飾製品の販売が売上の6割以上を占めていました。

 現在、家具業界の不調により、家具関連業が200社以下、約300億円と地域の産業の構造が変わり、2000年代に入り、印刷物の数量の減少、印刷単価の下落により売上が一気に下降することとなりました。

 井口氏はスーパーマーケット勤務を経て2002年23歳で血族でない同社へ入社します。当時社員数は約20名で、翌年に工場長となり、2004年から佐賀同友会に参加し始めました。

まずは経営指針書を作れ!

 「会費を払っているのだから、事務局員にやらせればいい!」10年前の役員会での井口氏の発言です。やらされ感で参加し、他責と結果の評論は、経営者としても役員としてもレベルは疑われるものでした。自社では売上と人員も半減していました。

 そんな中、同社の事業承継の話が先代から持ち掛けられました。念願の「社長」になったものの、事態は好転しません。また、輪番制で間もなく支部長の任が回ってきます。

 「あの人はわかっていないから…」「仕方ないんじゃない、他にいないから・・・」社長としては事業承継でなく、多額の自己資金での企業買収となり、短期の支部長としても期待はされていませんでした。

 自身のプレ例会で、仲間から「経営者風」の報告はすべて却下されました。また、自社の取扱品目すら説明することができませんでした。もちろん数値、財務などはチンプンカンプンです。

 まずは経営指針書を作れ!感性でごまかさずに、わからないことは放置せず、理性を磨け!との言葉を受けました。

 短期政権の支部長の予定でしたが、ここから5年間、顔面蒼白でなく、「顔面朽木色」になり、自身と会社の見つめ直しが始まります。

顔面朽木色の習慣化

 経営指針成文化塾で経営指針を成文化し、この年から6年連続での経営指針発表会の開催、プレ例会などすべての同友会の行事に参加、2年以上に及ぶ毎日の早朝勉強会(佐賀同友会 朝レンジャー)への参加、他支部での例会報告、会員訪問、地域団体・他団体への参加を行い徹底的に学びの習慣化を行いました。

 学びの機会を実践し習慣化できた結果、「Spin the world」(S=サイン(標示)・ P=パーツ  ・I=イノベーション・N=ノベルティ(販売促進)・the world=空間づくり)と自社の価値も明文化しました。社内外で、「社会(人生)を飾ろう、世界(自分)を廻そう」という、事業、経営姿勢、社風を確立します。

 SDGs、個人の多様性や嗜好、コロナ禍の変化の中で、開発会議や営業部門の設置を行います。下請からの脱却、マーケティングの再編、部材の研究、空間デザインを取り入れ年々と増収増益の企業づくりを行っています。

仲間の笑顔があふれる、愛あるつながりを!

 少年時代に相手が自殺を考えるほどのいじめを行った、そんな過去の傷もあります。いじめた友だちに対し心から詫び、今の思いを本人に伝えたこと、また、以前は、行き場のない人がたどり着く職場であったと氏は語ります。人間として、親として、経営者として全員の自己実現の場としての竹中印刷工芸をつないでいく資格を得て、人の喜びや痛みのわかる、公器としてなくてはならない企業づくりを次代を切り拓いていく覚悟の元、井口氏は仲間と共に歩み続けています。

(株)竹中印刷工芸
設立 1979年
資本金 1,000万円
年商 6,000万円
従業員数 6名
事業内容 スクリーン(シルク)印刷を主とし、木製品・ガラス・金属・プラスチック・ビニール製品 ステッカー・布(Tシャツ、ブルゾン、作業着など)・点字印刷等の特殊印刷、デジタルプリントによる大判印刷、ノベルティ製作など様々なものに対応。
URL https://www.takenaka-silk.com/